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シフォンケーキとシオニズム③

シオニズムにおけるゴイムは、家畜であり、人間以下のように描写される。だからこれは選民思想だと言って強く批判されるわけだが、そもそも彼らは、どういった人々の状態をゴイムと定義しているのだろうか?

もちろん、その詳細はタルムードに書かれているのだろうが、わたしは素直に、名前の持つ元型イメージにダイレクトにつながってみようと思う。

言葉は、素直に似ている音を辿って行けば、必ず源流に辿り着く。
つまり、ゴイムとは、ゴムではないか?
わたしはある日このことに気が付いて膝を打った。

天然ゴムの歴史(こうじや信三 京都大学学術出版会 2013年)という興味深い本がある。彼によると、なかなか理解しがたい熱力学の法則が、ゴムの性質を丁寧に観察していれば理解できるようになるという。しかも、この構造は、情報工学で現在ばんばん活用されている理論そのものでもあるというのだ。ますます、ゴムとゴイムの相関関係を感じてしまうのはわたしだけではなかろう。

AxelBoldt, CC0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Latex_dripping_crop.png

ゴムは不思議な化学的な特性を持っていて、固体なのに、内部ではまるで液体のように分子が自由に移動し合う構造になっている。そして、引っ張られたら縮む性質はまさに、集団でくっついている方がここちよいという特性そのものなのだ。
実際、ゴムの伸び縮みというのは、長い鎖につながれた犬のようだ。
鎖が長いため、まるで鎖がないかのように自由に動き回れるが、鎖の最大の長さになると、それ以上その外へ行けず、縮む。

また、ゴムはエントロピーという、熱力学的な特性からも特殊な性質をもっていて、縮んでいる時の方がエントロピーが高い。

このエントロピーという言葉を、文系のわたしが理解するのはとても難しく、今もきちんと理解していない気がするが、わたしの勝手なイメージで稚拙に説明してみる。

動的なエネルギー=エネルゲイア的な活性というものは、本来不規則さ、無秩序さというものと比例して生じる。
生き生きしているとき、それは自由に動くからであって、止まっている状態は活性ではないのだ。それは一般的な物理特性では、固体より、液体、液体より気体の方がエントロピーが高いのが自然ということになってくる。
ところが、ゴムだけは、固体だからこそ自由度が高いという意味不明な性質だそうなのだ。縛られている、囲われている方が自由という何とも意味不明なロジックである。
だから「ゴイム」はゴムに端を発するのではないかとわたしは感じた。

似た音は、似た性質を持っている、ととらえるのが語源調べの鉄則だとわたしは思っているが、ゴマ、も、ゴムに近い音である。
密教では、護摩とは煩悩であるという。
だとすれば、ゴイムとは、煩悩の塊、なのだ。
群れている方が自由を感じ、しかも、自分が群れに依存している自覚がない。典型的な羊気質である。

このことを紐解くと、往々にして、ある人々をゴイムだと決めつけ、批判し駆逐しようとする選民思想な人々こそ、めちゃめちゃ煩悩の塊であり、正真正銘のゴイムではないのか、ということが浮かび上がってきて考えさせられる。

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