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生きるか数えるか①

キネシスとエネルゲイアの世界の対比は、別の言葉を使うなら、「生きるか、数えるか」といういい方になるのかもしれない。

幼い頃口ずさんだ童謡で、ポケットを叩くとビスケットが増えていく、というものがあったっけ。日常的に、数えるということは、どんどん増えていく何かを確認して喜ぶ、というイメージを持ちやすいように思う。ビスケット、なんてかわいらしいものではなく、貯蓄した銀行口座の残高のゼロを数えて喜んでいる人も、景気がいい時代ならたくさんいただろう。

しかし、数えるという言葉の語源を追っていくと、罪状を数え上げる、裁く、そういうどちらかというとネガティブな意味が強く含まれてくる。このことがわたしにはしばらく理解ができなかった。

そもそも、どうして数えることが裁くことなのか?

 
数字の成り立ちをご存じだろうか。

昔マッチ棒を並べて、すべての数字をつくってみたり、一本減らして特定の数字を表すことができるかゲームとかが流行った記憶があるけれど、数字というのは、なんと曲線ではなく、直線で書くものなのだ。
外国人がアラビア数字をどう手書きで書くか、を観察するといろいろ気づくことがあるのだが、たとえばインド人は、数字を手書きで表記するときに、日本人の表記と違う、独特な書き方をする。

それが次にわたしが再現したような、ちょっとデジタル的な、カクカクしたこの感じである。また、カクカクだけでなく特徴的なのが、数字の「7」を書くとき、必ず、縦の部分に「一」のマークをつけるところ。

私はインド料理屋で働いていた時、手書きの汚いアラビア数字で、注文をカウントするとき、彼らが手で描く「7」の数字がだからわたしの中でずっと引っかかっていたのだが、そのことが今回わたしの中でつながった。

これ、単純に「1」と「7」の見た目が区別しにくいからなのかと思っていたら、それだけではなかった。

なんと、「アングル(角)」の数が、そのままその数字を表すのだ。
つまり、アラビア数字は本来、何回力が加わって折れたのか、が視覚的にわかるように描かれている。

赤い点が、折れた数=力が加わった数=何回殺したか


木の枝を何度か折ることで数字をあらわしていると想像するとわかりやすいかもしれない。
つまり、折れた回数や、交差した箇所の数は、
そのまま力が加わった回数ということなのだ。

そしてゼロだけが円。
一度も、力が加わっていない=折れていない=殺されていない!

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