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明日何を食べるか、そのために生きている気がする。

食べることが好きだ。食に関することなら、好奇心が身体の中から湧き上がり、とどまることを知らない。

そう言うと何だか幼い頃から贅沢に良いものばかり食べて育ったような、まるで美食家ですと自称しているように聞こえるが、決して普段美味しいものばかり食べているわけではない。
料理の腕はまだまだ全然満足できないし、裕福でもグルメでも何でもない。

わたしの父はサラリーマン、母はパートで働く主婦。2才年下の妹がいて、地元のどこにでもある平凡な家庭で育った。

両親はわたしを大切に育ててくれたが、物心付いた頃から我が家はそんなに裕福ではないことを何となく理解していたし、大人の様子を察して気を遣うような子どもだった。

小学6年生の春休みに両親が沖縄旅行へ連れて行ってくれた時も、両親が奮発し、家族旅行にして初めてリゾートホテルに宿泊したのだけれど、こんなところに泊まって我が家の家計は大丈夫なのかとものすごく不安になった。

しかし、旅行へ連れてきてくれた両親にそんなこと面と向かって聞けず、ホテルのレストランで食事をした時にはメニューを見ても本当に食べたいものを選ばず、それよりちょっと安いものを注文した。

あの時の妙なドキドキは今でも忘れられない。

社会人になってからは一人暮らしを始め、自分で自分の食事を自由に選択できるようになった。しかし、高級フレンチ・イタリアン・和食にお寿司…にありつけることもなかった。
日々の生活と貯金とのやりくりに精一杯で、何より高級なお店に入る勇気もなかったからだ。

そのため、大人になってからも、ちょっとした贅沢と言えばデパ地下のお惣菜、パン屋さんの焼き立てパンにケーキ屋さんの美しいケーキ、そして毎朝自分でお気に入りマグに入れる一杯のコーヒー…そんな日常の少しの贅沢で十分満足できる。

それでも、わたしは食べることが何より好きだ。

本屋に行けば必ず料理本コーナーをチェックし、本屋の面積に対し料理本がどれくらい占めているかを確認する。
そして、本棚のレイアウトやどの本が平積みされているか等、気になって見てしまう。さらに新刊が出ていればつい手を伸ばしてしまう。

料理本は、その人の生き様だと思っている。読んでいると個性があふれていて本当におもしろい。

そして料理雑誌のコーナも必ずチェックし、料理通信が置かれていれば一人心の中でガッツポーズする。なかなか置いているところがないからだ。

逆に料理本が充実していない本屋は、家からいくら近かったとしても、自分の中ではあっても意味がないようなものだ。大変申し訳ないが、満足度が低ければ自分がよく行く本屋の候補から外れてしまう。

さらに、スーパーやデパ地下の食料品売場を散策するのも大好きだ。

野菜、魚、お肉に調味料…どんなものがどのように売られていているのか。
お客さんはどんな人が多く、どんなものを手に取るのか。
デパ地下ではどのように各店舗が配置され、どのようにお惣菜が並んでいるか。
洋菓子と和食、パンにお酒にチーズはどう充実しているか。
そんなことを見て回るのが本当に楽しい。

どこに行っても唐揚げって人気だなあとか、そんなたわいもないことを考え散策していると時間を忘れてぐるぐるしてしまう自分がいる。

そして、調理道具や器、お菓子作りの道具なんかも探し始めたら止まらなくなってしまう。

器や道具にこだわると、良いものはやはりそれなりの値段がする。身の丈を考えて購入しないと、いつかきっと破産してしまう。
特に器は作家さんが丹精込めて作られたものに憧れるが、お店で手に取ってみたものの、価格に目が点になり、なかなか購入に踏み切れないのが現状だ。

それでも、良いものは自分の目でみて目利きを付けたい。
器屋さんに足を運び買えそうなものだけを選んだり、本を読んで調べたりして、ああいいなあ…いつかたくさん持てるようになりたいな、と憧れ妄想する日々が続く。

わたしの世界は、どうしてこんなにも食中心に周っているのだろう。

それはきっと、食べることが何より楽しく生きがいで、明日の食を今よりもちょっと充実させたいからだ。

食材をどう選んで、どう美味しく調理するか。
そして、自分がどんな道具を使えば心地よく料理ができるのか。

でき上がった料理は、どの器にどう盛り付けるか。
そうだ、あのお店で買ったお気に入りの器に入れよう。
そんなプラスαがあるだけで、日常が、わたしの心がぐっと華やぐ。

さあ、食べよう。うん、美味しいね。
そんな会話で家族と盛り上がったり自分で自分の料理にちょっと満足できたら、それ以上嬉しいことはないくらい、嬉しい。

食材を買って調理して、きれいに盛り付けて、食べる。
さらに誰かと一緒に食べれば、会話がはずんでより楽しくなる。

そうした瞬間が心地よくて、ありがたい。

もちろんゆっくり食事ができない時もあるし、毎日でなくてもいい。
でも、日々の食卓がちょっと華やげば、それは何よりも幸せなことだと思う。

明日何を食べるか。わたしはそのために生きている。

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