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曾我蕭白「頼光金時図屏風」

閲覧ありがとうございます。日本絵画一愛好家です。

表題の曾我蕭白作「頼光金時図屏風」は、個人蔵の作品です。和歌山県立博物館で2020年12月5日から2021年1月24日まで開催されていた企画展「屏風の美 収蔵品の名品から」で初めて拝見いたしました。

アーカイブが残っておりましたので、下記にリンクを貼らせて頂きます。https://www.hakubutu.wakayama-c.ed.jp/byoubu_bi2020/frameset.htm

写真撮影可の作品でしたので、和歌山県立博物館に寄託されているのかと思ったのですが、寄託の有無については確認できませんでした。

本作の所有者のお方のご意向で写真撮影可だったと推定されます。曾我蕭白師匠激萌えヲタクの弊方としては、たいへん有難く思います。

本作の写真は、当時の3Gガラケー(厳密にはガラホ)で撮影したもので、画質がよくないだけでなくブレていて申し訳ありませんが、ご容赦頂きたく思います。

本作「頼光金時図屏風」は、二曲一隻の屏風で、背景が蕭白師匠らしい岩場みたいな感じで、第二扇に源頼光さまが右向きで岩の上の座られ、第一扇左寄りに坂田金時さまの若かりし頃の金太郎さんが正座され、第一扇右寄りで金太郎さんのすぐそばに、金太郎さんの育ての親、山姥さまが頼光さまに向かって正座されておられます。

源頼光さまといえば勇壮かつ剛毅なる武将ですので、標準的に絵画化されれば、勇ましいありさまが強調されると思うのですが、本作では、頼光さま、なんだかめっちゃ優しげですね。

一方、金太郎さんは、標準的には腕白なありさまが強調されると思うのですが、本作では、金太郎さん、たいへん緊張した面持ちで、うつむきかげんで頼光さまの御前で正座してはります。

そして、金太郎さんの脇では、山姥さまが、なぜか枝付き栗をお持ちになり、金太郎さんを挟んで頼光さまに頭を下げておられるように見えます。

本作の展示解説によれば、「本作は、金太郎として知られる坂田金時を、母の山姥が源頼光の家臣に加えるように懇願する場面を描くか。」とありました。おぉ、山姥さま、頼光さまに媚びておられるのでしょうか?

実際に本作を拝見したとき、弊方も山姥さまが頼光さまに媚びている?! みたいな印象を持ったのですが、改めて写真を確認すると、そういう感じでもなさそうですね。金太郎さんを叱咤激励しているようにも見えます。

なお、山姥さまが、栗の枝をお持ちなことについて、展示解説では、「浮世絵などにも同じ図像が描かれており、山姥を表す持物として認識されていたことが窺える。」とありました。

「持物」とは「じもつ」と読むそうで、元は仏教用語とのことですが、西洋美術における「アトリビュート(attribute)」とほぼ同義として用いられるようです。その意味は検索エンジンなどでお調べ頂ければと思います。

弊方、絵画作品を鑑賞するときに、脳内で頻繁に実行させて頂く作品解釈の端緒のひとつが「勝手にアテレコ」です。アートを愛好される方々はたいそうお怒りになられるかもしれませんが、ヲタクのおっさんですので、ぜひご容赦頂けますようお願いいたします。

本 note とも旧Twitter(現X)とも全く連携していない弊方の秘密ブログ(制限なく公開しておりますが、ほぼ閲覧の形跡がないという意図です)では、当初、次のような「勝手にアテレコ」を記載しておりました。

 頼光さま
 「まあ、そないに緊張せんでもええで、金太郎くん」

 金太郎さん
 「ぼ、ぼくを、頼光さまの、け、家来にしてくださいっ!」

 山姥さま
 「あぁ頼光さま、うちの金太郎をよろしくお願いいたしますぅ~~~」。

一方、改めて本作の写真を確認すると、弊方の「勝手にアテレコ」がちょっと違ってきました。

 頼光さま
 「まぁ、そないに緊張戦でもええで、金太郎くん」

 金太郎さん
 「ぼ、ぼくを、頼光さまの・・・」

 山姥さま
 「金太郎! しっかりしなはれ! 頼光さま、うちの金太郎を、なにとぞ、なにとぞ、よろしく・・・」

まぁ、あんまり変わりませんですかね。山姥さまがあまり媚びているようには見えないということで、ちょっと「勝手にアテレコ」を修正いたしましたが、いずれにせよ、頼光さま、金太郎さん、山姥さまのいずれにおいても、標準的な印象からひっくり返った表現になっているように思います。

やはり写真の画質がよくなくて申し訳ありませんが、本作第一扇右側部の落款は、弊方には次のように認識できました。


款記:「蛇足軒曽我蕭白藤暉雄圖之」
款記直下:花押みたいな何か
花押直下:縦長の十文字みたいな何か(中央部に四つの点々付)
十文字みたいな何かの左下横の上:如鬼印(朱文方内円印)
十文字みたいな何かの左下横の下:蕭白印(朱文方印)
十文字みたいな何かの直下:虎道印(白文方印)

なお、款記下の花押みたいな何かは、蕭白師匠の代表作の一つ、文化庁所蔵の重要文化財「群仙図屏風」などにも記載される、宇宙からのメッセージみたいな、例のわけのわからんアレです。

また、蕭白師匠の印影ですが、2012年に千葉市美術館(4月10日~5月20日)と三重県立美術館(6月2日~7月8日)で開催された「蕭白ショック!! 曾我蕭白と京(みやこ)の画家たち」展図録の印象(第228~230ページ)を参考にしております。

例のわけのわからん花押的なアレが記されていると、蕭白師匠会心の出来という状況らしいという説があるそうです。本作の縦長の十文字っぽい何かも、我ながらの出来栄えの良さに、蕭白師匠がテンション高めに勢い付けて記されたようにも思えます。

注文主も含めて、本作を拝見された方々は、画題は理解できるし描かれる人物のいずれも理解できるにも関わらず、見たこともない絵だと思われたのではないか、と弊方は妄想しております。

しかも、本作、人物も背景もすべての描写対象が蕭白師匠らしい典型的な表現であるにもかかわらず、全体的に荒ぶるところがなく穏やかな感じがするのが、蕭白師匠らしくないような気もしますが、その表現のひねり具合が蕭白師匠らしいようにも思います。

画題として考えると、坂田金時さまの立身出世の第一歩を描いているので、注文主の子息の立身出世を願った吉祥画題のように妄想できます。

しかしながら、後の偉大なる勇者、坂田金時さまも、頼光さまに仕える最初はめちゃくちゃ緊張していた様子を表しているとも解釈できます。

そうすると、注文主が立身出世を願ったご子息に対して、「坂田金時も最初は緊張してビビってたかもしれへんけど、めっちゃ出世して勇者になったんやから、お前も頑張れや!」みたいな、蕭白師匠らしい、歪んだ(?)応援というか鼓舞というかが表現されていると弊方は妄想したいと思います。

本作、弊方おっさん激萌え状態ですので、蕭白師匠の代表作の一つに数えてよいと思うのですが、和歌山県立博物館で展示された以外は、他館での展示はなさそうです。

所蔵者の方のご意向なのか、あまり知られていないので他館からの貸し出しの要望がないのか、よくわかりませんが、ぜひ再び拝見したいと思います。


初投稿から3,000字を超えてしまいました。もっと短くするつもりでした。弊方の秘密ブログの記事がめちゃくちゃ長くなるので、noteでは、できるだけ1,000字台くらいに抑えたいと思います。

諸事情により旧Twitter現Xでの投稿を始めたのですが、やはり短すぎて弊方には合わない感じがしましたので、noteと連携してみました。

いきなり展覧会拝覧記事でもなければミュージアム訪問記事でもありませんが、ぼちぼちやっていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。



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