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肖像権が無い人間と放棄した私と放屁したおじさん

肖像権とはなんぞや。
私は肖像権など放棄するので、どんどん使ってもらってOKだ。
何なら私の顔と豚の体を合成してデペイズマンしてくれたらいい。
そんなあなたにはミスターセンクスのカールした毛髪を1本差し上げよう。

そんな奇人の意見はさておき、この世の全ての人間は肖像権を持っている。
みだりに自分の写真などを使用されたらたまったもんじゃないということで、肖像に対する権利をシュチョーできるということだ。

そんな中で「この世に存在しない人間の肖像」が存在する。
AIによってAさんの目・Bさんの鼻・Cさんの口みたいな感じで合成された肖像だ。
その画像が以下である

成功!

失敗?

成功か失敗かはさておき、どの画像も若干不思議に見える気がする。
これはAIが生成しているという知識が最初に入ってしまったからに違いない。
AIは今も歯周病の人の歯周ポケットのように、ディープラーニングし、己の精度をぶち上げ続けている。

いよいよ肖像権というものがわからなくなってきた。
AIが組み合わせたとしても、それぞれのパーツのベースは世界に存在する誰かのものだ。おそらく今後は肖像権がもっと細分化されていくのであろう。

その一方、自身の肖像の権利を主張できる肖像権であるが、果たして本人は自分のパーツが使用されているということを気付くことができるのだろうか。
侵害されているという事実がわからなければ、主張も何もない。

ますます真偽がわからない世界になってくる。
その中で何を信じるのか、それは自分自身の感性であり、毛髪なのであろう。
そして放屁である。放屁の付加価値をAIは見出せないであろう。
ダリ先生から見れば放屁は芸術なのだ。
放屁の出口といえばアナルである。
私が読みたい本に「アナル・アナルシス」という本があり、著者は人間に全く共通しているアナルから世界の全てを論じようとしている。

そして私は「Google analytics」を「グーグルアナルシス」とビジネスシーンで発言してしまう生身のおじさんが大好きだ。

人間は正確では無い。その歪みみたいなものが大好きなのだ。

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