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日本人とSlack

ビジネスチャットツールの定番と化しているサービス「Slack」
ワイも使わせてもらっている。
今まで色々なチャットツールが出現しては消えてきったわけだが、
なんと言うだろう、フランクというか柔軟な使い心地が良くて、
ワイの会社にも浸透してきている気がする。

ある日、スラックって便利だけど、スラックって何?と言う話になった。
ワイはその瞬間、ものすごくドヤ顔星人となり、皆の衆に説明した。
スラックと聞いて一番ピンと来たのは、「組織スラック」である。

中小企業診断士の企業経営理論でオベンキョーする内容であり、
本来の目的を達成するため以上に保有している資源。つまり余剰資源を指す。
環境が良好な企業には必ずこのスラックが存在する。
揺らぎのあるスラックが新たなイノベーションの起爆剤となったり、
資源に余裕が無くなった時の充当資源となることで企業の柔軟性を持たせたり、
まぁ色々と良いことがあるっちゅー話だっちゅー話だ。

サービスであるSlackの意味もどうやらここから来ているらしく、
コミュニケーションを円滑にしてスラックを活用するみたいな意味とか、
本来の語源である、ゆるーく仕事しようよみたいな意味もあるらしい。
確かにSlackには自分で絵文字を作れたりする。
なんだかお遊び的な機能もたくさん存在している。

そもそもSlackとはゆるいとか、いい加減とか、怠けるとかそう言う意味だ。
ビジネス視点から見れば、誠によろしくない言葉なのである。
言い換えれば余裕ということになるのだが、
余裕と言い換えたところでサボっている感は拭えない。

しかしこの件につきましては、日本人特有の勤勉さみたいなものにより、
日本人がこの感覚を掴み取れないだけなのではないかと思おもう。
私が「組織スラック」という言葉を初めて目にした時、
正直「サボりやん」と感じたのも日本人であるからに違いない。

おそらく日本人は休み方が下手くそであり(私のように)
休むことを許さないというか、
休む→サボるみたいな意味の取り方が強いのではないかと思う。
私の中のSlackマスターはのび太かバカボンである。

クリエイティブワークをしていると思うのだが、
組織にSlackが必要であるように個人にもSlackは必要だと感じる。
しかもそれは適度でなくてはいけない。
あまりにもカツカツであると脳がクリエイティブモードに入らないし、
あまりにも余裕がありすぎると脳がサボりモードに入る。
適度にプレッシャーを感じる環境が必要であり、
その環境を整えるために脳Slackが必要なのである。
脳屁はリラックスしているか昇天しているか、どちらかの時に出るので、
脳屁が出るときは良い環境である証拠なのかもしれない。

うまくサボれる技術も必要であるし、
それを認めてあげる周りの寛容さも必要である。
日本でもSlackが受け入れられていることを見ると、
そう言った意識もだんだんに変わってきているのかもしれない。

忘れていけないことは、アウトプットの質である。
サボろうがさぼらないで頑張ろうが、
素晴らしいアウトプットを出さないと社会のゴミとなってしまう。

良い環境の塩梅を感じ取るのも、良い環境の維持に努めるのもONOREなのだ。
私は適度にサボりながらやった方が良いアウトプットが出ることが多い。
なんて言いながらたくさんサボっているのが私なのである。

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