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本音と枝豆

茹でていない枝豆の房から豆を取り出すという偉業に挑んだ。
偉業たる所以はやってみればわかる。
房がものすごく硬く取り出しに苦労することになるのだ。

普段食べている枝豆は当然だが茹でられており、
いとも簡単にポンポンスッポンポンできる。
あのスッポンポン行為はクセになる枝豆プロセスだ。

それに比べて生の枝豆というものの防御力はものすごい。
手でスッポンポンにすることは無理に近く、
ハサミを使って切り込みを入れたとしてもなかなかの握力を要する。

なぜそんなことをしたかと言えば、「枝豆ペペロンチーノ」を作るためだ。
枝豆をパスタのペペロンチーノと同じ手法で調理する。
オリーブオイル・ニンニク・鷹の爪・塩。
必要なものはそれだけだ。
最高のおつまみになるのだが、1点だけ不満があった。
枝豆のように手で食べるのだが、房はオイルまみれなわけで、
手羽先を食べる時レベルに手がベタつく。

そこで私の着想に火がつき、
調理前にスッポンポンしておけば快適に食べられると思ったのだ。
その着想のおかげで、枝豆は茹でてこそ食べやすいことを悟った。

おびただしい数の房をハサミと握力でやっつけながら思ったこと。
枝豆と人の心は似ているということ。

枝豆の房と豆の関係は人の心の本音と建前に似ている。
ハサミで無理やり本音を取り出そうとも、建前ばかりが出てくる。
握力で潰そうとしても、決して本音は出てこないのである。
きちんと柔らかくしてあげないと、本音がスッポンポンしないのだ。

スッポンポンに必要なことは信頼であり、
信頼は時間をかけて築いていくものである。

房を柔らかくするには、熱が必要だ。
これはつまり情熱である。
グツグツとした情熱でゆっくりと熱を加えることで、
だんだんに心の防御壁も柔らかくなってくるのだ。

PON!PON!すっPON!PON!
ぽんちくしょー!!

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