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生まれながらの才能?道聞かれ顔について考察する

道を聞かれるって、それ幸運で光栄なことだと思うんですよね。天賦の才。見知らぬ人から道を頻繁に聞かれるということは、人の役に立てる機会が多いってことで、徳を積むチャンスをいっぱい与えられているということです。

私つい昨日、一日に2回も道を聞かれました。昔からよく道を聞かれます。世界中どこにいても聞かれます。かつて住んでいた東ロンドンでも、初めて訪れたニューヨークでも、下北沢駅のホームでも「千代田線との乗り換え難しいですよね~」て。

時にサングラスをかけ、イヤホンをつけ、頭髪は不自然に色づいてて、自分で思うに、そんなに話しかけやすそうな風貌でもないのに、あたりには沢山の人がいるのに、私は自転車に乗っているのに、それでも道聞かれます。

近年「道聞かれ顔」という言葉があるようで、特徴としては、清潔感がある、優しそう、落ち着いた雰囲気がある、人畜無害そう、等々。少なくとも知らない人から見て、話しかけやすい、うさん臭くないってことなのかな。そうかな?って自分では思うのだけど、これは褒められているということで素直に受け取ります。それに、ゲッターズ飯田さんが「道を尋ねられるような生き方をしている人は、幸せなこと」て。

あ、これはそうかも。そんな立派に生きてないですけど、道を尋ねられたら、可能な範囲でちゃんと答えています。分からない時も一緒に調べたりします。年とってから分かりましたが、人の役に立って喜んでもらうことって、人生の大きな喜びの一つです。「ありがとう」は魔法の言葉、って私それ信じてる人。だから一期一会、道案内の善行を積み重ねてきました。

今から25年くらい前、社会人になりたての頃、会社の先輩男性と表参道を歩いている時に、外国人観光客の方が、私に向かって道を聞いてきたんです。私に。そしたら隣にいた先輩男子、私が何か言う前に「ノー!ノー!ノーイングリッシュ!!!」って、手でさえぎったんですよね。そしたら外国人の方、けげんな顔で去っていってしまいました。私、唖然。

その出来事がすごいショックだったので、もしまた外国人の方に道を尋ねられたらカタコトの英語でも精一杯コミュニケーションしようと心に誓い、それ以降、幸運にもそんなチャンスに幾度となく恵まれ、あの時の申し訳ない気持ちの敵討ちはできました。地図を読み解くのも上手くなったし、英語も話せるようになりました。私も旅先でその土地の人にやさしくしてもらえました。Pay it forward、ペイフォーワードで返ってきた。

あとはスピリチュアルな意味もあるとか。引力や運気が上がっている証拠なんですって。ホントかな。なら嬉しいですよね。引力といえば30年ほど前のちょうど今頃、私18歳で入試の日、表参道駅で私に道を尋ねてきた人がいて。その人それから長年に渡り今でも私の一番近くにいる友人です。そんな幸運を持っている道聞かれ顔の私なんだと思います。

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