否定され続けた人生にバイバイしよう

別に、自己啓発系のお話ではないです。
どちらかというと、前回のnoteの続き。
とても長文ですのでお時間があって興味がある方だけどうぞ。

タイトル通り、私は母に否定され続けた人生を送ってきました。
本人は私のことを「かわいい」というのです。ですがその「かわいさ」は人形やペットを扱うのと同等であるような気がします。
ペットを下に見るわけではないのですよ。誤解させたらすみませんね。
きちんと形容するのなら、彼女は私を愛玩物として扱ってきました。にもかかわらず、私の自立性や自尊心を否定し続け、「自分がいなければ何もできない愚かな娘」として扱ってきたのです。
人様が私のことを褒めた時(「文音ちゃんは頭が良くていいわねー」など)、彼女は必ず私を卑下や謙遜という形で貶しました。
「一人娘だから甘やかされていて何もできない」
「頭がいいといっても一番じゃない。だからたいしたことはない」
「習い事はたくさんしてるのにどれもモノにならない」
列挙しすぎて相手が引くほどに彼女は私を貶し続けました。
私にとっての母は「唯一無二の絶対者」でなければならないと彼女は考えているのです。
だからこそ逆らうことは許されないし、私は彼女より劣っていなくてはならない。だからそんな風に人前で貶すことができるのですね。
にもかかわらず、彼女は私に依存するのです。面倒なこと(テレビで見かけた品物の通販など)はすべて私に代行させ、近くの他人より遠くの娘を使おうとする。(車のエアコンやDVDのリモコンの使い方がわからないと当時車で一時間余りの距離の娘に電話をかけ、歩いて数秒の看護師を申し訳なくて呼べないからと枕もとにある充電器を探せと自宅にいる娘に電話をかけてきます)
依存というより体のいい使い走りのような気はしますが。
そんな中で四十年余りの人生を過ごしてきました。
「逆らえばいい」とか「離れればいい」とか、様々なご意見はあるでしょう。私自身もできる努力はしましたが、それでも現在家にいるということはこれはもはや「呪い」のようなものではないかと思っています。
幼い時に形成された「絶対者」の地位はなかなか揺るぐことはありません。逃げようと足搔くことそのものが皮肉にもそれを意味しているのです。

自尊心も自立心も対等であることももぎ取られた母との関係は、私を蝕むには十分なものです。
その関係でいながら母の介護をすることは奴隷に等しい心境です。入院している母のもとに毎日通い、彼女の自尊心を満足させる。離れているだけましだと、私は通い続けました。
けれど、母が「かわいい」と言い続けていた私の健康などは実はどうでもいいのだということを知った今、それが難しくなってしまいました。思えば奇妙な話ですが、支配され、自尊心を傷つけられ、それでも私はどこか母の言う「お前はかわいいと思っている」という言葉に縋っていたようなのです。実に滑稽だと自分でも思うんですが、まさか私の健康までは進んで脅かさないだろうと思っていたんです。すでに心は壊されているというのに。
私は今、薬を飲まなければ眠れないし、薬を飲まなければまともな生活を送ることができません。
悪化した現在は薬を飲んですら飲食もおぼつかず、下痢を繰り返し、動悸が激しく脂汗が出て、手が震え眩暈がして吐き気がします。
母の病室にインフルエンザの罹患者が出たとき、母が「(父も孫も来させるわけにはいかないけど)お前は来い」言ったんです。同室にインフルの患者が出た場合、その病室の全ての患者が予防策としてタミフルを処方されます。だから、母たちは安全なわけです。ですが私にはそんなものは投与されません。でも、関係ないのです。なぜなら、母に言わせれば「お前は来ずにはいられないだろう」から。
完全看護の病院にいる母と私では安全度が違うのですが、そこには全く思いが至らないどころかどうでもよかったようです。
そこから、私の症状は緩やかに悪化していきました。
今年の1月のことです。

2月に入ってすぐに無理矢理退院した母は、その後すぐに二回目の圧迫骨折で現在入院している病院に入院することになります。
その時から、私の頭の中は「いかに母を長く遠ざけるか」が駆け巡るようになりました。
その思惑はいずれ母にばれて「面倒を見ないのならお前に価値はない。出て行け」と言わしめるわけですが。
「価値がない」という言葉は私を壊すには十分でした。私は、ろくな食事すら摂れなくなっていました。息子のためにご飯は作るので、キャスで料理をし、リスナーさんと話しながら食べることでようやく一日一食は食べることができています。
出て行けるものなら出て行っている。けれど、発達障害の息子を抱え、安定した収入がない私にはそれはとても難しいことでした。家賃を払わずに済んでいる今だからこそ何とかやっていけるのに、家を出て生きていけるわけがない。
その時から頭の中に死がよぎるようになりました。息子がいるからと踏みとどまりはするものの、それでも死にたくて死にたくて……いえ、自分を消し去りたくてどうしようもなくなっていたのです。
母に逆らえないことも母を愛せないこともむしろ憎んでいることも許せないことも自立できないことも全部全部消し去ってしまいたかった。
こんな苦しみは、なかなか理解されないものです。
だって親ですもの。普通は愛すべき相手ですもの。
「そうはいってもお母さんだから」
「娘だから仕方ないよ」
そんな言葉をどれだけ聞いたかわからないので、私は母の愚痴を誰かに吐くことをだんだんしなくなりました。それがより私の中に良くないものを鬱積させていただのだとも思います。
そんな中で、母の病院の滞在期限が迫っていました。転院をさせることができなければ即座に奴隷に逆戻りです。
それを考えるたびに気も狂わんばかりでした。

父ですら私の敵になってしまった時、母の転院先として検討していた病院が私の現状を聞いて自宅からの避難を提案してくださったのです。
自立支援施設に母子共々入ってはどうか、という提案でした。
懸念していた生活費は公的な支援が受けられるのでは、とのことで私は藁にも縋る思いでその提案に乗ることにしました。
そうでなければ死んでしまうと、そう思ったからです。
引っ越し代や当座の生活費などの心配はあります。私だけならなんとかなっても、息子もいてまだ高校生です。
それでも、私には他に選択がないのです。

この記事を最後まで読んでくださった方。
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このnoteを通じてサポートしてくださるのでもありがたいのですが、よかったら私が所属するユニットが制作したTシャツを買ってください。
今より狭いところに引っ越すでしょうから、作った在庫を抱えて引っ越すことができません。
残していけば捨てられてしまいます。それだけは耐えられないのです。
母の転院先の滞在日数は30日。それまでに決着をつける必要があって、資金を集めています。
どうか、ご協力をよろしくお願いいたします。

読んでいただくだけでも十分嬉しいですが、サポートいただくとおいしいものを食べたりして幸せになれます。私が。