ほかの誰でもなく 著:文音
年の瀬が近くなると、街も慌ただしくなる。
年が変わるから何かが変わるのか、と言われるとマリアにはよくわからなかったが、素直に一年の区切りだと受け止めている。
残り一つとなった荷物を持ち直し、問屋街から職人通りへと向かった。
年の瀬は納品が多く、マリアもここ数日調合に納品と忙しい日々を過ごしていた。
それを見越して前の月に素材を多く集めておいたこともあって、もう随分と長いこと採集には出かけていない。
「……ふぅ」
小さくため息をつく。
別に、会いたいなら会いに行けばいいのだ。
ウィリアムなら、用事もなく会いに行ったからといって怒ったりはしないだろう。
それは、わかっているのだ。
だが。
『これで来月は採集に行かなくても良さそうですね』
そう言ったマリアにウィリアムはあっさりと頷いて言ったのだった。
『わかりました。では、ギルドには再来月から顔を出すことにします』
その言葉通り、その採集以降ウィリアムには会ってない。
ギルドに顔を出さないということは自宅にいるのだろうが、自身が忙しいこともあってなかなか行けずにいた。
会いに来てくれたらいいのに。
そう思っても、言う相手はそばにはいない。
メッセンジャーを送るのも大げさに思えて、またため息をついた。
ため息をついても状況は変わらない。
本日最後の納品先である鍛冶屋へと入る。
「こんにちは、マリアです」
声をかけると、そこの主よりも早く声をかけた者があった。
「何だ、マリアじゃねえか」
どうやら奥で主人と話していたらしいサミュエルがこちらへと近づいて来る。
「こんにちは、サム」
「納品か?」
「はい、やけどの薬を」
挨拶を交わしていると、奥から鍛冶屋の主人が顔を出した。
煤で黒光りする顔を手ぬぐいで拭きながら近づいて来る。
「ああ、マリアちゃんわざわざ悪いね」
「いいえ、とんでもない」
「この時期うちは忙しいからよお。やけどの薬がいくらあっても足りねえんだ。助かるよ」
そういう主人のむき出しの腕にはいくつものやけどの跡がある。
ここの主人は、まだマリアが見習いの頃からの常連だった。
「オフシーズンは武器の修理が多くなりますものね。サムも、もしかして武器の修理ですか?」
「いや、俺は手伝いだ。薪割りと火の番のな」
「飲んだくれでも力だけはあるからな」
「うるせえな……だけは余計だ」
二人の会話を微笑ましく聞きつつ薬を決められた場所にしまう。
鍛冶屋の主人から代金を受け取って建物を出ると、マリアの後ろからサミュエルがついてきた。
「今日はもう手伝いは終わりでな。送るぜ」
「いいんですか? ありがとうございます」
「おう」
職人通りから住宅街へ向かう道はそれほど治安が悪いわけではない。
それでも、サミュエルと一緒に……と思ったのはなんとなくさみしさを拭えなかったせいだろうと思う。
とりとめのない話をしながら住宅街へ差し掛かった頃、サミュエルが不意に口にした。
「最近、ウィルはどうだ?」
「……え?」
唐突に出たウィリアムの名前に、マリアは思わず足を止めた。
「あの……どうって?」
問い返すと、サミュエルはやはり足を止め、わずかに片眉を上げた。
「いや、元気かどうかって話だ。最近顔を見ねえからな」
「……私も、最近会ってないです」
そう答えたマリアが、しょぼんとうなだれた。
いかにサミュエルが気が利かない質とはいえ、どうやらまずい事を言ってしまったらしいことはわかる。
「そうか。……あー……悪かった」
「いいえ……」
バツが悪そうに頭を掻いたサミュエルが、ひとつ大きな息をつく。
「ま……元気なのは間違いねえだろ。行くか」
「はい……」
マリアの肩に手を回し、足を進めるように促したその時だった。
「サムさん、ひどいじゃないですか!」
「……あ?」
いきなり名前を呼ばれてサミュエルが振り返ると同時、さっと現れた影がマリアをその手から奪って抱きしめた。
「……え?」
「ひどいじゃないですか。私が来ないからって本当にマリアを取ろうとするなんて!」
何が起こったのかわからず、腕の中でぽかんとするマリアを抱きしめ、サミュエルに彼にしては激しい口調で文句を言ったのは先程まで話題に上っていたウィリアムその人だった。
「ウィル、お前何言ってんだ?」
ぽかんとしたサミュエルに、さらにウィリアムが言い募る。
「私だって会いたいに決まってるじゃないですか。けど、マリアが忙しいから我慢してたんです。なのに……」
「ま、待ってください、ウィル」
「待てませんよ!」
ウィリアムの腕から無理やり抜け出すと、マリアは手を伸ばして彼の頬を両手で押さえた。
「待ってください。サムとは納品先で偶然会って、私を家まで送ろうとしてくれただけです」
「……え?」
マリアの言葉に、ウィリアムが固まった。
その視線がサミュエルへ向く。
「マリアの言うとおりだ」
マリアに視線を戻すと、今度は無言で頷いた。
ふたりのその様子に、ウィリアムの顔が真っ赤になる。
「あ……その……すみません……」
「あの、“本当に”ってどういうことですか?」
マリアの疑問に、サミュエルがバツが悪そうにウィリアムを見やった。
「いやあ……この間偶然森で会った時によ。しばらく見ねえからどうしたのかと思って聞いたら“マリアが忙しいから街には行かない”って言うだろ。だからつい、“用事なんかなくても会わねえと俺が取るぞ”って言っちまったんだよ」
「もちろん、本気だと思ったわけじゃないんですけど、二人でいるのを見て、つい……」
「んなの、冗談に決まってんだろが……」
ふたりしてバツが悪そうな顔をするその様子に、マリアは思わず苦笑いを浮かべた。
「……いいですけど。ウィル、今日はどうして街に?」
「それは……その、やっぱり、あなたに会いたくて……お忙しいとは思ったんですけど……」
ますますバツが悪そうにしょげかえったウィリアムに、サミュエルがふうと、ため息をついた。
「最初からそうやって素直に会いに来りゃいいのによ、ったく」
「すみません……」
呆れたようにウィリアムを見やったサミュエルだったが、ウィリアムの肩をポンと叩くと踵を返した。
「お姫様はお前が送ってけよ。俺は帰ってクソして飲む」
「サムさん……すみませんでした」
「気にすんな」
背中越しにひらひらと手を振り、サミュエルは二人をその場に残して歩き出した。
角を曲がって既に見えないふたりの方を見やると、ぼそりと呟く。
「冗談……ね」
一瞬立ち止まった足が、また歩き出す。
それはまるで、何かを振り切ろうとするかのようだった。
その頃、サミュエルを見送ったふたりはマリアの自宅に向かって歩き出していた。
「マリア……今日は、その、仕事は……」
「今日の納品は終わりました。あとは帰って明日の納品の準備をしなければ」
「では、忙しいですよね」
「確かに、忙しいですけど」
伸びたマリアの腕が、ウィリアムの腕に絡んだ。
そのままウィリアムを見上げて微笑む。
「こうして寄り添って歩く時間はありますから」
その微笑みに釣られたようにウィリアムの頬が緩む。
「……そうですね。これも、貴重な時間です」
他愛もない話をしながら歩く。
ただそれだけなのに、とても楽しい時間はあっという間に過ぎた。
マリアの家の玄関先に立つと、ウィリアムが残念そうに微笑む。
「さて、着きましたね」
「……はい」
「では、私は帰りま……」
別れの挨拶をしようとしたウィリアムの前でドアを開けると、マリアは中に入ってウィリアムを振り返った。
「入ってください」
「え……でも……」
躊躇うウィリアムの腕を引くと、マリアは彼を中へと招き入れた。
「マリア……?」
ドアは開けたまま。
でも、構わずマリアはウィリアムの首に腕を絡ませると背伸びをした。
その唇が、そっとウィリアムのそれに触れた。
「……キス、するくらいの時間はあります……から……」
唇を離したマリアの顔は真っ赤で。
ウィリアムは思わずその体を思い切り抱きしめた。
「……キスだけじゃ、すみませんけどね?」
「……え?」
「こんなことをされては……キスだけじゃすみませんよ、マリア」
「ん……んぅ……」
深い口付けで長い時間マリアの言葉を奪ったウィリアムは、開け放したドアを大急ぎで閉めた。
一刻も早くマリアを寝室へと運ぶために。
「あの……ウィル……」
「なんでしょう?」
微笑みつつ横抱きにしたマリアを見やると、真っ赤なその顔がウィリアムをじっと見つめている。
うっかり食べてしまいそうだ。
そんなことを考えていると、マリアがさらに顔を赤くして消え入りそうな声で言った。
「あの……寂しかった……ですか?」
「とても、寂しかったです」
ウィリアムの返答に、マリアがほっとしたように表情を緩めた。
「よかった……私だけじゃなくて……」
訂正。
今からおいしく食べることにします。
胸の中で呟いて、
読んでいただくだけでも十分嬉しいですが、サポートいただくとおいしいものを食べたりして幸せになれます。私が。