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【考察】ラストナイト・イン・ソーホーをフェミニズム映画として観る

明けましておめでとうございます! 
さて、今年初めて観に行った映画は、エドガーライトの『ラストナイト・イン・ソーホー』でした!エドガーライトは大好きなイギリスゾンビ映画、『ショーンオブザデッド』で知って以来、サイモンペッグとニックフロストとのタッグ時代から大好きだったのですが、なんだかんだ映画館で彼の作品を観たのは今回が初めてです。

最近は初期のコメディ感とは雰囲気が違っているけれど、やっぱりエドガーライトは面白い!流石の構成力(案の定ミスリードに騙された…)、おしゃれな音楽の使い方などなど、今回も楽しませてもらいました。まるで遊園地のお化け屋敷みたいに、目まぐるしくてカラフルで、衝撃展開の映画で楽しかったのだけれど、ちょっと考察してみたくなったので、今回はフェミニズム映画として『ラストナイト・イン・ソーホー』を考察していこうと思います。

あらすじとイギリス文化について

ファッションデザイナーを目指すコーンウォール出身のエリーは、ロンドンのファッション専門学校に合格し、初めての都会暮らしをはじめる。エリーは霊とかそういうものが見える体質だったのだが、入学後色々あって借りた部屋で、そこに昔住んでいた女の子の幻影を追体験するようになる。そこは憧れの60年代ロンドンで、女の子(サンディ)は、華やかなショービジネスの世界での成功を夢見る女の子だったのだが…


というのが、『ラストナイト・イン・ソーホー』のストーリー。60年代ロンドンも素敵なのだけれど、現代のソーホーも、ロケ地がわかってまたこれが楽しい。本題に入る前に、独断と偏見によるイギリスの土地感覚と文化について少しだけ紹介したい。

・コーンウォール 
イングランドの最南かつ最西端の地域。クロテッドクリームの名産地で、かの有名なRodda’sはコーンウォールのメーカー。また、Cornish Pastyと呼ばれるパイ生地にひき肉などのフィリングを包んで焼いたパンのようなものはコーンウォール発祥(Cornish: コーンウォールの)で、私の大好きなイギリスフードのひとつである。

Cornish Pasty


・ソーホー
 
ロンドンのエリアのひとつ。隣はメイフェア。地下鉄の駅3つ分を繋いだ範囲を指し、ロンドンの中心部といっても過言ではないエリア。日本でいうところの銀座とか六本木とかそんな感じ。Carnaby StreetにはDishoomという美味しいインドカレー屋さんがある。

・Pizza Express 
エリーがバイトをしていたアイリッシュパブの隣にあるピザ屋。イギリス中どこにでもあるチェーン店で、安い。お金のない学生の味方。

SohoのPizza Express


・Student Union
 
作中では学生連合と訳されていたが、各大学にあり学校生徒主催のイベントを企画したりする、学生の代表のような組織。サークル活動などもこのStudent Unionの管轄である。日本の大学の大学祭実行委員が、大学祭だけでなく1年間の学内イベントを企画・運営しているようなイメージ。私の通っていた大学では、毎年委員長の選挙があった。

・新学期初日・ハロウィーン 
大抵こういうイベントの日は、Student Unionが近所のクラブを貸し切ってパーティーを開催する。私も新学期初日からクラブ行ったなあ…

以上、なんとなく現代イギリスの感じがわかっていただけたかな。他にも質問があれば、ぜひ聞かせてください。

この映画の「恐怖」とは何か

さて、そろそろ本題に入ろう。この作品は、ジャンルはホラーだけれど、ポップな演出と音楽でホラー的な怖さはあまりなかったように思う。
では何が1番怖かったかというと、「女性を自分の欲のために消費しようとする男たちの姿」である。
ジャンプスケア的な演出もあったものの、顔もわからないくらい無数の、若い女性の夢を食い物にして自らの欲望を満たそうと性欲をふりかざしてサンディにせまるおじさんたちが、1番怖かった。

サンディはきらびやかな舞台でスターになることを夢見ていたのに、「のしあがるためには男たちの相手をすることが必要」と言われ、ほとんど強制的に娼婦のような扱いを受けていた。おじさんたちの相手をしたところで、本当にサポートしてもらえるかなんて分からないのに、ただただ夢を利用され、自分を消費されていたのだ。
この、自分自身ではなく性的な対象として、性欲にぎらついた目で男たちから消費される恐怖、というのは、実は悲しいことに多くの女性に心当たりがあるだろう。

電車で痴漢にあったり、夜道を知らない男が後ろからついてきていたり、職場で男性上司からセクハラを受けたり、信頼していたはずの男友達からセックスを迫られたり。

死人の幻影に迫られるホラー的な恐怖もあるけれど、この映画でテーマとして描かれていた恐怖は、女性であるが故に性的に消費されるかもしれない恐怖、であるように思う。
ロンドンに着いたエリーがタクシーの運転手に変態じみたことを言われるシーンがあるが、このシーンでその恐怖を示唆しているように感じる。密室で他に人がいなくてすぐには助けを呼べない中でのあの会話は恐怖でしかない。
図書館でエリーが男たちの幻影に追いかけられるシーンは、ホラー要素もありつつ、電車の中で挙動不審な男に追いかけられたことのある私にとっても心当たりのある恐怖だった…。

さらにサンディがジャックに殺害されるシーンでは、結局力では男性に敵わないから、どんなに抵抗しても最悪の場合は殺されてしまうかもしれない、という潜在的な恐怖を見せられた気がした。
だからこそ、実は殺されたのはサンディではなくジャックだったとわかった瞬間には、正直カタルシスのようなものを感じた。

このあたりは、ポランスキーの『反撥』を彷彿とさせる展開でもある。

Ms.コリンズは何者なのか

エリーが部屋を借りた家の大家、コリンズ(=サンディ)を、かつて自分に迫った男たちを大量に殺し、あげくエリーやジョンまで殺そうとしたシリアルキラーおばさん…と見てしまうのは、尚早であると思う。その理由は、彼女の部屋を借りる条件にある。その条件は、以下の2つだ。

・女性限定
・夜20時以降の男性の出入りは禁止


もし、コリンズが男性に恨みを持っているシリアルキラーおばさんなら、男性に部屋を貸し、紅茶に毒でも混ぜて次々に殺せばいい話なのだ。しかし彼女はそうしない。彼女は、夢を持ってロンドンにやってきた若い女性たちを、その夢を利用して彼女たちを消費しようとする人々から守ろうとしていたのではないだろうか。自分のような思いをする女性を増やさないために。
夜20時というのは、サンディのジャックとの約束の時間、つまり、欲望に満ちた夜の世界が始まる時間だ。

だから、真実を知ったエリーは「でも人を殺しちゃだめ!」なんて正論を言わない。彼らは殺されて当然だと言う。自分に身の危険が迫っていてもなお、「助けてくれ」「彼女を殺してくれ」という男たちの声にはNoと言う。それは彼女自身も、サンディの苦しみが痛いほどわかるから、男たちに加担するのは御免だからなのだろう。

とは言え、殺人は犯罪なので容認はできない。
ジャックの幻影に引っ叩かれたように見えたコリンズがエリーを逃したのは、ここで自分の罪がバレることを恐れてエリーを殺してしまったら、それはかつて自らの欲によってサンディを"殺した"男たちと同じになってしまうからではないだろうか。

だから、コリンズは燃え盛る建物と運命を共にすることを選ぶ。これは、鏡を割ってしまったエリーに対して言った「罪は償うものよ」という言葉に繋がるのだ。

エリーの夢

ラストシークエンスでは、校内の発表会のような場で自分の作品がみんなから褒められ、ショーが成功したようにみえるエリーが描かれる。
誰にも消費されることなく、夢への第一歩を踏み出したエリーのことを、サンディも応援しているようにみえるシーンがすごく好きだった。

60年代は女性が成功を掴むには男性(それも裕福で、力を持っている)のサポートが必要で、きっと多くの女性が、その過程でサンディのように男たちに利用されてきたのだろう。けれど、現代では女性が自分の力で発信することもできるようになり、少しづつだが女性が搾取される状況からは良くなってきている。

もちろん、人には様々な事情があり一概には言えないのだけれど、それでも夢を持った人は(女性に限らず)、不当に自分を消費されたり、利用されたりせずに夢を掴んで欲しい、という監督の願いが込められているような気がした。

60年代イギリスと音楽について

さて、この映画を語る上で無視できないのが、物語を彩っていた音楽たちである。『ベイビードライバー』に続き、エドガーライトはやはり音楽のセンスが抜群に良く、話題となっていたエリーが初めて60年代ロンドンへトリップするシーン、サンディと入れ替わりながらダンスをするシーンなど、音楽と映像の融合も非常に巧みだ。また、今回のサントラはそのほとんどが60年代UK音楽で構成されている。

メインテーマの一つでもあるシラ・ブラックの “You’re My World”は、オリジナルはイタリアの楽曲で、ビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティンが英語版を彼女に提供したものだ。元々彼女がビートルズのコンサート会場のクロークスタッフだったこともあってか、彼女の楽曲の中にはジョンレノンやポールマッカートニーが提供していた曲もある。
さらに、映画のオープニングで流れていた、ピーター&ゴードンの “A World Without Love” も、クレジットがレノンとマッカートニーに捧げられている。

また、エリーと同じ名前の楽曲 “Eloise” のギターとベースは、後のLed Zeppelin、ジミー・ペイジとジョン・ポール・ジョーンズが担当しているなど、使われているサウンドトラックの裏には60年代UKロックを代表する人々が隠れている。

私は決して60年代UKミュージックに明るい方ではないが、私のイメージする60年代ロンドンは、エリーが憧れた華やかでクラシックなスウィンギングロンドンや、うっとりするような歌声のシラブラックをはじめとする女性ボーカルの音楽ではなく、ビートルズやビージーズ、Deep Purpleといったロックバンド、そしてThe Whoに代表されるモッズ(Mods)たちである。

このモッズカルチャーについては激エモおしゃれ映画、『さらば青春の光』をぜひ鑑賞していただきたいが、彼らは簡単にいうと、「モッズコートに身を包みヴェスパに乗っている集団」であり、社会に対して不満を持ち、反発していた若者たちだ。
彼らが聴くのはThe Whoなどのロック。つまり、保守的な上流階級の文化に対するカウンターカルチャーだ。映画のサントラの中にも、The Whoの"Heat Wave"が使用されていた。

『さらば青春の光』

モッズカルチャーは『ラストナイト・イン・ソーホー』で描かれていたロンドンとは全く違う表情を見せるが、同じ60年代ロンドンで起こっていた話だ。保守的な文化へ反発する若者たちの共感を得ていた音楽を導入することで、当時男たちの手によって作られた女性シンガー文化への対抗であるようにも思う。

おわりに

いつもエンタメ・コメディ全開のエドガーライトにしては今回は珍しいテーマの映画であるような気もしたが、決して堅苦しい映画になることはなくエドガーライト的エンタメ要素も満載で、それ故にエドガーライトの主張が詰まっているように感じる作品だった。

この作品にはここで書ききれなかったまだまだ多くのオマージュや小ネタが仕込まれているけれど(明らかにダリオ・アルジェントを意識したホラーっぽいなあ)、この記事が少しでもイギリス文化を感じる手助けになれば幸いである。

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