本当に危惧すべきリスクってなんだろう

コロナにより「会いたい人に会えない」が増えた。それに比例するように、誰かにとっての自分の優先順位を認知する機会が増えた。

私には「コロナだから会えない」と言ってきた人が、他の人と会っていたり、どこか遊びにいったりしてるのをSNSで目撃する度に、勝手に傷ついて「なんてメンドクサイやつなんだ」と自分自身を忌まわしく思う。

もちろん、コロナに関する危機意識は人それぞれだ。だから「会えない」といった人を攻めるつもりはないし、優先順位どうこうの問題ではなく”都内で暮らしている”私に会いたくないだけかもしれないという頭ももちろんある。

それでも、これだけコロナに怯える期間が続いていると、本当に危惧すべきリスクはどれだろうとは考えずにはいられないのだ。

多くの人は忘れているかもしれないが、私は明日死ぬかもしれない。読んでいるあなたも、明日死ぬかもしれない。
これは脅しでも呪いでもない、事実だ。

明日生きている保証なんて、誰一人としてない。

数か月で終息すると言われていたパンデミックはダラダラと居座り、もうすぐ1年(日本初の感染者が1月16日)。365日も我慢するなんて思わなかった。

それと同時に、よく生きてきたなとも思う。
コロナで死ぬこともなく、他の病気を患うこともなく、事件に巻き込まれることもなく、自ら命を絶つこともなく。

この1年で死ぬかもしれないリスクと、コロナにかかるかもしれないリスク。どちらのほうが大きかったのだろうか。

だからコロナなんか気にせず、出歩こうぜ! という話ではない。とるべきリスクはとっていかないと、後悔するのだろうなと思ったのだ。


先日、某YouTuberさんが亡くなったらしい。そのかたと親しかったYouTuberさんが、「あのとき、ずっと優しい自分のままでいられたら」と後悔を語っていて、他人事じゃないと背筋が凍った。

それぞれにフラストレーションが積み重なってるから、相手に思いやりをもって行動することは、以前にも増して難しい。最優先は、わが身を守ること。それは、間違いではないと思う。

ただ、フラストレーションに飲みこまれたり、保身ゆえに大切なものを失ってしまうことは避けたい。

誰かからもらった「会おう」をなんでもない連絡だと思って蹴とばしたら、実はSOSだったなんてこともあるかもしれない。「大丈夫」なんて、大概の場合は大丈夫じゃないときにしか言わないものなのだから。

思うように会いたい人に会えないからこそ。自由に行きたい場所へ行けないからこそ。いつにもまして避けるべきリスクと取るべきリスクを見極める目が、より一層試される時代なのではないだろうか。

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