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幻想を重ねる

家人が遠くに見える霧島連山を見て、高千穂峰が美しいと言う。

「馬の背のところのシルエットが特に好き」

私は小学校のときの修学旅行で高千穂登山を強いられ、高校のときの霧島縦走で途中強制的に高千穂登山を強いられたトラウマがあるので、

「ハァ?いっこも美しくないわ」

と返した。ちなみに高校のときの縦走では途中で喘息が出て担任に訴えたが、

「俺は自分のことで精一杯だ。自分で何とかしてくれ」

と言われた。もうそのときにはもう後には引き返せない地点に来てしまっていたのでなんとか完走(?)したが、あの時は担任に悪いことをしたと思っている。多分マジウゼぇと思ったと思う。私なら思う。

閑話休題。

そんな高千穂峰だが、最近とても美しい山だと思うようになってきた(シルエットが)。

特に馬の背の部分がクッと鈍角を描いて、そこだけ稜線がなだらかになっているというところに惹かれる。
人はアンバランスなものに惹かれる。

家人が

「通勤途中に見える住宅地に沢山皇帝ダリアが咲き出したよ」

と言う。

家人はもともと、植物の名前に疎かった。特に家の庭に植えるような樹木には全く興味がない人だった。

「私は常々思うんだけど、皇帝ダリアの花のつきかたはちょっとおかしいと思う」

私が以前言った言葉だ。
家人は、

「こうていだりあってなに?」

と言っていたが、あれ、と指し示すと一発で覚えた。
人はアンバランスなものに強烈に惹かれる。

家人が高千穂峰を美しいと思う心と、
私が高千穂峰を美しいと思う心が全く同じだとは思わない。

私が皇帝ダリアを異形だと思う(ごめん皇帝ダリア)心と、
家人が皇帝ダリアを思う気持ちが同じだとは思わない。

それでもお互いに影響を受け合って、同じ好きを共有しているという幻想を重ねることが、

私たちが夫婦であるというしるしであると思うことは、少し甘美で、とても寂しい。

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