あなたの上手い歌じゃなくて、いい歌に出会いたい

普通のカラオケレベルなら、上手い!!と言われるであろう、私の生徒さんの一人が
ある日ピッチをもっと完璧にしたい、という相談をしてきた。

もうレッスンも何年か通ってくれている生徒さんで、元々ピッチが全く取れない方ではなかったし
寧ろ最近はより精度が上がってきた人。
ピッチにフォーカスする必要性を私はそこまで感じていないよ?と伝えたけれど

本当に細かな部分で外してしまう、音程が低くなる自分の感覚を徹底的に改善、完璧にしたいとのこと。


技術を伝える、そして声の要望に応えるのが仕事の『ボイストレーナーの私』は、耳を鍛えるトレーニングを提案しようとしたのだけど

思わず 

うーん、と唸った。


***
ボーカリストとして上手い、と認識されるためには、第一条件はやはりピッチ、音程の正確さだと思っている。

音が外れてたら、上手いと言えない。厳しいけれど、いくら声が良くても音程が外れていたら、ボーカリストとしてスタートに立てないと思う。

なので、私は上手くなりたい!!という
向上心があって、やる気のあるタイプの生徒さんにこそ、延々とピッチのことを言い続ける。
(固定の個人レッスンの人には特に、笑)
他のどんなテクニックよりもまずはピッチだと思っている。私も含め、ドレミが一番難しい。


音域の開発(MIXを出せるようにするとか、地声と裏声のチェンジを滑らかにするとか)を優先させることも時にあるけれど
歌えたっていう成功体験もしてほしいし、歌い手としての課題クリアの一つ目としてうるさく言う。音程には結構しつこい。


***
前例の、ピッチに完璧を求める生徒さんの話に戻り。

私は
生徒さんを上手くする、技術を伝達する
『ボイストレーナーの私』である一方で
いち『ミュージシャンの私』だった。
先程の話では恐らく『ミュージシャンの私』が唸ったのだ。

ただ上手くすること、に抵抗があった。

上手いのは大事だ。でも


ただ上手い歌、が聴きたいのか?


***
今の、私たちが耳にしている音楽の音、声はどこまでも修正がされている音だったりする。
音の波形すらも、いじってしまえば、どれだけだって、ほとんどボイトレ受けていない人だって歌は超絶上手になるのだ。悲しいけれど。

間違えたところはパンチインで差し替えしたらいいし、若干のピッチやタイムの補正なんて日常的に行われている。
なんなら歌番組の生放送だろうと、実際に歌っていても同時ピッチ補正がかかっていたりもする。

。。って話を、前例の生徒さんに伝えたらショックを受けていた。
生徒さんは知らなかったのだ、自分の耳にしているものが補正されているものだってことを。

そうなのだ。私たちは補正されまくったものに慣れている。

化粧品の広告の女優さんの絹〜ぅの肌を目にするのがもう当たり前のことのように。
Snowの顔は現物と到底違ってるってわかっていても、まだ懲りずにうさ耳つけたがったりすることと同じように。
視覚だけでなく、聴覚も同様。完璧なピッチとタイム、はたまた音色のコントロールがされている状態、が無意識のうちに共通認識みたいになっている。


***
科学的な補正だけではなく。

ボイストレーニングの技術の向上によって、アーティストの歌のレベルも上がっていることも事実だろう。

昔は個々の身体能力の高さと癖、個性に偏った音楽も多く存在したと思うが
今はボーカリストのボイストレーニングレベルが向上しているからなのか、基本的に上手い人が多い。

できていないことを逆手に取った個性、というよりは、
数あるできることから個性をいかに作り、コントロールできるかって感じになっているような気もする。

私自身の、自分の個性である音色、、ファルセットやウィスパーボイスに出会ったのはいろんな偶然が重なったからなんだけれど。
なんとなくできた、ではなく
確かな技術としてアプローチしたくて日々発声の研究をしている。

例えば、自分のアイドルである荒井由実の声の不確かさを、技術で持って表したいと挑んでいたりする。


***
先日私はJ-Popのカバーライブをしたのだけど、その時に中森明菜さんの「飾りじゃないのよ涙は」を歌うことになり、明菜さんの歌をストリーミングで何度も聴いていた。

聴けば聴くほど、懐かしい質感が半端なく。

加えて時代的に、まだデジタル化されすぎてない歌なので、ところどころが、超ー!完璧な歌!!じゃないのだ。

もちろん、音色や歌の技術はある歌、ではあるんだけれど、ほんのすこーし、よく聴いているとわかるピッチの不安定さとか、タイムの揺らぎ感が、そのままに録音として残っている。

。。。

なんかわからないけど、そのナチュラルさ、普通さが、すごくいいなって思ったのだ。
恐らく波形もそんな弄り倒してない、自然なままの声がコンプリートされてたんだろう。
人間の声の、らしさを感じた。

波形をいじって、完璧を作り上げていないから、懐かしさと不安定感と、不確かさ、危うさみたいなものが音の質感に現れていた。

できないとか、不確かを感じるなんて
人としての人らしさ、愛おしさなんじゃないか。

ピッチ信者だけど、別にデジタルが補正してくれた音が聴きたいんじゃなくて、人が正確に歩み寄る様が聴きたいのだと知った。

更には、音楽が好きだって気持ちが、人が好きだってところにまでくっついて行き。人っぽさっていう不安定で不確かな存在が、それでも挑みつづける完璧を尊く思っていて、その様が聴きたくなるんだなんて思いまで沸いてきた。


***
写真も歌もきっと同じ、だな。

CGや整形しまくり美人
初音ミクやピッチ補正
それらでカバーできちゃう不確かさを、私たち人は持ち合わせている。

ちなみに、それらを否定するつもりは全くない。デジタル化に合わせ、適度に織り交ぜながら、付き合っていっていいんだと思う。

この先、AIはじめとして、テクノロジーが発展すればするほど
人が人であるが故の不安定感が、愛しく恋しく思うことが増えるんだろう。


***
上手い歌って何だろう。
そしていい歌って、もっと何だろう。

上手い歌って機械のように正確で完璧であるということかも、しれない。

でも、いい歌って、人間が滲んでること、なんだ。

愛とか愛おしさとか、時にマイナスな感情や不安定を抱えていることも、いいのだと思えてきた。


ただ上手い歌を歌うボーカリストにも
上手いだけを教えるトレーナーにも
私はなりたくない。


***
それでも。

今日の練習も、レッスンもやっぱりピッチから始めよう。
正確に、完璧に歩み寄ろうとすることだって、これももちろん愛おしさだ。

今日もどんないい歌に出会えるだろう。

いい歌に出会う旅、死ぬまで果てしなく続くんだろうな。


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