一首評「ごめんって謝らないでたくさんの無理を通してここにいるひと/千原こはぎ」

ごめんって謝らないでたくさんの無理を通してここにいるひと
千原こはぎ『ちるとしふと』

 忙しい人と一緒に暮らしている。まだ結婚はしていない。いずれする予定でいるが、人間には何があるかわからないから、断定するのは辞めておく。婚約破棄されたら、どうか慰めて欲しい。
彼は毎朝8時台に家を出て、帰ってくるのは夜の12時過ぎ。死んだような顔で帰ってくる。話しかけても最初は無反応であることが多い。何分か彼へのアプローチを続けると、そのうちリラックスして家の表情になってくる。せめてご飯だけでもまともなものを食べて欲しいと思い、一汁三菜を用意することを心がけている。(実行できているかは別として。)

 その人はよく「ごめん」という。
例えば、「家に帰るのが12時を過ぎそう、ごめん」
「(わたしが辛い思いをしたときに)話を聞いてあげられなくてごめん」
「家事、何もできんでごめん」など。
 
 試しにラインの検索画面で「ごめん」と検索してみたら、3ヶ月で118回も「ごめん」と言われていた。文面でこの量なら、日常会話でどれほど「ごめん」と言わせてしまっているのだろう。


 引用歌は、冒頭にランチデートの様子が詠まれた「おかしな名前」の中の一首だ。
 忙しい相手と食事をしている最中、「ごめん」と何度も席を立たれてその場に一人残される。「仕事とわたしのどちらが大事なの」と天秤にかけ、ヒステリックになるような主体ではない。けれど、仕事の方がわたしとのランチよりも大事だよね、と割り切れてしまうほど強くもない。だから彼から「ごめん」と謝られると、主体が申し訳ない気持ちになってしまうのだと思う。「たくさんの無理を通してここにい」させることを。
誰かと会うということは、その人と時間を共有することだ。言い換えると、自分の時間を差し出し、相手の時間をもらうこと。当たり前だけど。
ランチ中に何度も席を外すような忙しい相手から、貴重な時間をいただくのは申し訳ない。そして、何度も謝られるほうが惨めになる。せっかく一緒にいるのに、きみをないがしろにしてごめんと言われているようで。
それでもこの歌の救いは、主体が「無理を通して」まで一緒にいたいと相手から思われているところにある。その想いを主体が自覚しているところがまた素敵。「ここに」二人でいることの尊さを感じる。


 仕事から帰って来た忙しい人が、ご飯を食べている。今日は「ごめん」と謝らせないようにする。大切な私生活の時間を一緒に過ごしてくれて、ありがとうと言いたい。

山縣 彩夏

#短歌 #一首評 #千原こはぎ #エッセイ

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短歌とエッセイ。 未来短歌会彗星集、かばんにいます。

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