一首評「もうずつと見てゐる長い夢のやう 午後には午後の挨拶をして/飯田彩乃」

もうずつと見てゐる長い夢のやう 午後には午後の挨拶をして
飯田彩乃『リヴァーサイド』


生まれ育った土地から離れて、七ヶ月が経った。
慣れないことの連続で、心身共に疲れ果ててしまったけれど、最近は徐々にエネルギーを取り戻してきたような気がする。
それでもまだ、ここにいる違和感が完全に払拭されたわけではない。

幼い頃からずっと生きづらさに悩まされている。
“今・ここ”に生きている自分を俯瞰するもう一人の自分がどこかにいて、ずっと見張られてきた。
これまで向けてきた否定や批判の眼差しが自分自身にブーメランみたいに戻ってきて、お前はどうなのかと言ってくる。その幻想のようなものにずっと苦しめられている。
それならば、その物差しを折ってしまえばいいものを、なかなか手放せずに苦労している。積み上げてきた価値観を壊すのが怖いのだろう。

私の生きづらさは、この歌のようなものだ。
社会に順応するために「午後には午後の挨拶をして」いる自分がいて、それをもう一人の自分が見ている。
それは、「もうずつと見てゐる長い夢のやう」なものであって、どこか違和感や不安感が漂う。
自分ともう一人の自分にズレが生じていて、それが積み重なると長い眠りから覚めた後みたいにどっと疲れてしまうのである。
ずっと抱いていた感情がこの歌と出会ったことで、形として現れてきて嬉しい。

夢には、悪夢もあれば幸福な夢もある。
「午後には午後の挨拶をして」いる私に、いつか良い夢を見せてあげられるように、短歌と一緒に生きていく。

山縣 彩夏

#短歌 #一首評 #エッセイ #飯田彩乃 #生きづらさ

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短歌とエッセイ。 未来短歌会彗星集、かばんにいます。

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山縣 彩夏

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