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非言語コミュニケーションについて

非言語コミュニケーションは、社会科学の研究分野のひとつである。簡単に言うと、言葉以外によるコミュニケーションのことだ。「目は口ほどにものを言う」「顔に書いてある」「背中で語る」など、ことわざにもなっているほど私たちは言葉以外の手段でメッセージを送り合い、受け取っている。

非言語コミュニケーションの研究者、レイ・L・バードウィステルは、二者間の対話において、ことばによって伝えられるメッセージは全体の35%にすぎず、残りの65%が非言語コミュニケーションにより伝達される、としている。(1) また、同じく研究者であるアルバート・メラビアンは、人間の態度や性向を推定する場合、その人間のことばによって判断されるのはわずか7%でしかなく、38%は周辺言語、55%は顔の表情による、としていて、これに従うと93%が非言語コミュニケーションを頼りに目の前の人間がどういう人物で何を考えているのかを判断していることになる。(2)

では、非言語的なメッセージには実際にどのようなものがあるのか。

アメリカの研究者、マジョリー・F・ヴァーガスが著書の中で、非言語コミュニケーションを以下の9種類に分類している。

〔1〕人体 (もろもろの身体的特徴の中で、なんらかのメッセージを表すもの。)
〔2〕動作 (姿勢や動きで表現されるもの)
〔3〕 目 (アイ・コンタクトと目つき)
〔4〕 周辺言語 (パラランゲージ/話し言葉に付随する音声上の性状と特徴)
〔5〕 沈黙
〔6〕 身体接触 (相手の身体に接触すること、またはその代替行為による表現)
〔7〕 対人的空間 (コミュニケーションのために人間が利用する空間)
〔8〕 時間 (文化形態と生理学の2つの次元での時間)
〔9〕 色彩
(マジョリー・F・ヴァーガス『非言語コミュニケーション』石丸 正 訳、新潮社、1987年、16頁)

この9つを使って、作文をしてみよう。〔4〕〔5〕はどちらも声に関することなので一つにまとめる。例えば、

〔1〕がっしりした体つきの男の人が
〔2〕腕組みをしながら立っている。
〔3〕目を吊り上げて
〔4、5〕黙ったまま
〔6〕一人で
〔7〕壁際に
〔8〕かなりの時間
〔9〕赤い顔でいる。

彼はどんな人物で、今何のためにそこに立っていて、どんな気持ちでいるのだろうか。誰かに待ちぼうけを喰らわされてイライラしているんだろうか。そう想像すると、人は彼に不必要に近寄らないようにその場を通り抜けるだろう。
文章にすると長いが、普段私たちは、自分がどう行動するかまでを含め、この判断を非常に短い時間で行っている。私たちは、「ぱっと見」でとても多くの情報を受け取り、判断材料にしているのだ。

もちろん、その判断の正確さがそれほど信頼に値しないことは、誰しも経験によって理解しているだろう。マジョリー・F・ヴァーガス著「非言語コミュニケーション」の中でこう指摘している。

世間一般の通念には反するかもしれないが、言語が異なれば、同じ事物でも違った意味づけがなされるし、ことば以外の手段によって伝達されることも、きわめて多種多様な意味をもつものなのである。つまり、ジェスチャー、動作、合図、記号などを、全世界の人間が同じように使い、同じように解釈することなどあり得ないのだ。ことば以外の表現手段それぞれに差異をもたらす四つの大きな要因は、(一)個人的差異、(二)男女性別よる差異、(三)文化形態による差異、(四)状況による差異である。
  (中略)
…覚えておかねばならない重要なことは、ことばであれ、ことば以外のものであれ、万人共通の伝達手段などは存在しないということだけである。(同書16-17頁)

言語も非言語的なサインも、コミュニケーションのすべては学習によって身に付けられる。何がどういう意味を持っていて、どうすれば伝わるのか、経験によって学んでいく。実はそれと一緒に、「伝わらないこと」も知っていく。言葉を尽くし、できる限りの表現をしたつもりでも、伝えたいことがうまく伝わらないという経験は、多くの人に覚えがあることだろう。また、自分の経験に頼って見かけで人を判断し、実のところは全く違う人物像だった、ということもよくあることだろう。

私たちは、多くの表現方法、伝達手段を持っているがために、コミュニケーションに失敗するとつい困惑してしまうけれど、伝わらないことなど実は当たり前のことなのかもしれない。相手は(一)自分とは違う人間で、(二)場合によっては違う性別を持ち、(三)自分とは違う環境で育った、(四)立場も背負った背景も、違うところだらけの人間なのだから。

「人の話は最後までよく聞きなさい」「人を見かけで判断するんじゃないよ」といったおばあちゃんの言葉は、人に何かを伝えるということがいかに難しいことかを経験的に学び、受け継いできた、昔の人の戒めだったのかもしれない。



 (1)参考文献: Ray L. Birdwhistell, Kinesics and Context: Essays on Body Motion Communication. University of Pennsylvania Press, Philadelphia, 1970.
(2)参考文献:A. Mehrabian, Silent messages. Wadsworth, Belmont, California, 1971.
※この文章は、2009〜2010年にかけて書いた修了制作のための文章を、本ブログ用に文末などに調整を加えて書き直したものです。

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