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残された雛と卵とカルガモと

カルガモの赤ちゃんが生まれた。先月からずっと見守っていた。
そして次の朝にはすでに引っ越していた。
早い。生きるスピードがものすごく早い。さすが野鳥だ。
気付いた時には1時間ほどで全員生まれ、先に生まれていた雛は赤ちゃんではなく子どもの状態くらい大きくフサフサしていた。
周りを見渡し、やばいと感じるとせかせかと親鳥の下へ隠れていく。目もしっかり見え、状況を判断し、行動できるようになっていた。
そんなカルガモたち。
予想はしていたが、こんなにも早く家替えをするのか。ちなみに彼らの巣は家の前の背の高い花壇の中だった。
どのように雛はこの高さから降りるのだろうと考えていたがそんなことは杞憂だった。

そして朝、彼らは移動して行った。
一羽の雛と一つの卵を残して。

その一羽は明らかに小さく、顔を下にして動いていた。
弱いのか、世界に出遅れて置いていかれたのか。
一つの卵と共に巣に残っていた。


嫌だな、と思った。

置いていかれた雛と卵にではない。これから起こることがなんとなく予想されたからだ。


朝9時過ぎ
「Aya, Did you see ducks?」
と友人がデスクに来て声をかけた。
「カルガモがみんな居なくなっていて、一羽だけ残っていた」と。
カルガモ はレジデンスの皆で密かに見守っていた。

「親鳥とかどこに行ったんだろう」
「どうして取り残されてるんだろう」

「この寒さだと死んでしまうよ」
今日は昨日と打って変わって雨が降っていて寒く、デンマークらしい陽気だった。
そして、

「助けられないかな」

彼女はそう言った。


やめてくれ、と思った。この状況を予想していた。
朝、取り残された命を見てギュッとなったのに、またギュッとさせないでほしかった。


いきものには色々いると思っている。
人間もいきものだが、最近の人間は自然の境界から少しはみ出た存在だと思う。
そして、その存在と共に生きるいきものと、境界を越えないいきもの。


親鳥が卵をあたためている間、彼女が水や果物を目の前に置いていたことを知っている。
彼女の優しさを感じると同時に、
庭の木ににみかんを刺して鳥がついばむのを待っていたり、野良猫にエサをやることとはまた違うのではと思っていた。

もちろん、いきものは好きだ。
小さいころ、飛べないカラスを密かに餌を与えて水を飲まして見守っていたし、
飼育委員で当番でもないのにサボる人の代わりに友人と毎週日曜には飼育小屋を掃除し、皆が触りたがらないのでほぼ毎週末生まれては死んでいるウサギの赤ちゃんを埋めていた。
死んだと思って埋めた亀が春には土から這い上がって来た時は嬉しくて一日中眺めていたし、
飼っている猫が余命短いと言われた時はガチ泣きした(彼女は目つき悪く、たくましく相変わらず生きている)。

生きていくうちに、それなりに色々ないきものと様々な関わり方をした。
そして、
相手が自然との境界を越えないところにいるのに、こちらからその境界を越えて良いものかと、
今はそう考えている。


だから私は今朝、少し寂しく感じながらも小さい生命を残してデスクに着いた。
そして彼女が来て言ったのだ。

「助けられないかな」


最終的に彼女はダンボール箱に巣をつくり、取り残された雛を入れて暖かな部屋に置いている。
しかし、卵は元の巣に置いたままになっている。
そこが彼女の線引きなのだと思う。


自分は親が置いて行った雛をどうにかしようとは思わなかった。
しかし、ダンボールの中にいる雛を見てホッとした自分がいた。
そして、今ダンボール箱の中にいる雛がピヨと鳴けば嬉しくなってしまうだろうし、無事成長してほしいとも思うのだ。

助けても、助けなくとも、どちらも人間のエゴだと思う。
しかし、エゴとか優しさで世界は回っていて欲しい。

Little ducks. 地球へようこそ。


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