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言語力と伝えるは違うと感じた熊


デンマークのAIRに来ている。

そして私は制作メインに今月は過ごしていたせいでここ1ヶ月ほとんど人と話す機会がなかった。  

昨日パーティがあり、久しぶりに人と話したが1ヶ月間が空いただけで全く話せない。英語うんぬんの話しではなく、会話を受け取って投げる力が衰えている。しかも、相手が真剣に聞こうと前のめりになるとたじろぐ。
完全に冬眠から下界におりて来た気弱な熊のようだ。

今いるAIRには世界各国から人が来ていて、みな自然に英語で会話しているように見える。そんな中で、英語をちゃんと学びたいなぁ...と思っていたが、
それよりも自分が話したいことがあるのか、ないのか。それだなぁ、とパーティ中に改めて感じていた。
パーティ中にそんなことを考えている時点でパーティの空間から少々離脱している。

以前、クルド人の人と日本で買い物をしていた時、英語が分からない店員に、彼は強く、しっかりと見据えて、癖のある英語でも、同じ言葉を繰り返しながらも交渉をしていた。
当時学生だった私は「強ぇ...」と感じながら様子を見守っていたが、
強いのではなく、彼は真剣に話しているだけだったのだと今では思う。

そして中国から観光に来た人に思いっきり中国語で道を聞かれた時は、不思議とどこへ行きたいか問題なくわかった。

ドイツからAIRに来た人が「日本に行った時、みな英語で話しかけてくれてとても親切だった」と言ってくれたが、
私はなんとなく、「海外の人には英語で話しかけないといけない」とどこかでインプットされているのではないかと感じている。

特に私は「クラスでうまくやっていくには会話はリズムが大切だ」と小・中学生の時に思っていたのが染み付いていて、
うまく伝わらずに流れが滞りそうになるとへラっとしてしまう。
伝えることよりも、周りの流れを優先する。

語学は話す助けになるが、それがメインではないよなぁと冬眠から下界に下りて来た熊は思う。

「日本語で話してみて、わかるかも!」と周りは言ってくれる。

そういう事だと思う。



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