見出し画像

手土産はいらないから作品を買ってくれという人がいて同じ作家として驚いた。

オレンジを剥きながら思い出した。
昔、アパートにまだ住んでいた時。小学生中学年くらいだ。母を励ましたかったのか、驚かせたかったのか。喜ばせたかったのか。絵本で読んだ、小さい紙切れを追って行くとゴールに着くというお話しを再現しようと、自分が出かける前に母が必ず見る場所にスタートの紙切れを置いて出かけた。ゴールには小さい、細いかわいい鉛筆をプレゼントとして置いた。
3本だと物足りないから4本。この色は好きだけどせっかくだし、と選んだ数本の細い鉛筆。


ドキドキと帰ってきたら、鉛筆はそのままそこにあった。
そして「私が欲しいのはそういうことじゃ無い」と言われた。
悲しかった。
多分このサプライズ前に、部屋を片付けなかったか、手伝いをしなかったか、怒らせたのだろう。
だから私は「ごめんね」という意味でそれをやったのだ。
母は物とか、サプライズなどが好きでは無い。
物とかより、日々のヘルプをしてくれという。分かる。たしかに分かる。

しかし、その物の後ろにある気持ちを読んでほしかった。
小さい数本の細い鉛筆は自分から片付けることが出来ず、長い間そこにあった。貰ってくれるんじゃないかと期待もあった。たまに覗いてはそこにある鉛筆を見て ぐし…っとなった。

そんなことをたまに思いだす。
母はむちゃくちゃ私をサポートしてくれるし、かなりの愛情をいただいて大切に育てられたと感じている。
子どもの頃では見えていなかった家庭環境の中、本当によく育ててくれたと感謝している。
しかし、人はだれしも人なのだ。

だから私は人が何かくれるとき 何よりその気持ちが、嬉しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?