忙しいのに寂しい

胸がぎゅっとなっても誰もほどいてくれなくて悶える。ふと40歳になっても男で心の穴を埋める人や子供で心の穴を埋める人が頭に浮かんで自力でなんとかしなきゃと思いなおす。

寂しいって意外と出会わない感情で扱いに困る。課題に追われながらもサークルにも行く友達とも会う。割と忙しい日々を送っているのに、寂しさは知らないうちにすくすく成長していたようだ。

私は大学に居場所がない。というか気軽に会える距離に気軽に話せる人がいない。だから寂しい。

「バンプ 寂しい時」って調べた。バンプは私にとって人生を先行く先輩なのだ。バンプならなにか解決の糸口があるんじゃないか。

検索結果に従順に
ハンマーソングと痛みの塔を聞いてみた。

ああ、私は皆と乖離するのも構わず自分が行きたい道を歩んできてたんだと思い出した。自分のやりたいことが皆と違うと自覚しつつそれでも自分のやりたいことをする。この寂しさも行動を起こした時点で覚悟すべきことだったんだ。

私は以前から密かな目標があった。悪口言いたくなるような人からは逃げる。
それは幸いにも悪口を言いたいと思わないような人に囲まれ生きてこられたからで、身内の悪口を言う人の神経が分からないと思いながら生きてきたからだ。

でも大学は違った。勉強してれば答え見せろだの過去問くれだの言い始め、勉強してなければ鼻で笑われる毎日だった。自分と距離が近かった人のことも1年もあれば嫌いになり悪口を言いたくなってしょうがなかった。

とにかくどんなSNSを見てもどんな人の話を聞いても、ちらっと出てくる友達描写に大学の近しい人とのコミュニケーションにはないものを沢山見つけた。私たちの間には協力関係も、友情も、刺激も、安心感も、楽しさでさえもなかった。

私は自分のために彼女らと徐々に距離を置いた。

それからはふらふらしていた。元々仲が良かった子がいるグループに行ったりもしたが、そのグループのうちの誰かしらに嫌な顔をされることの繰り返しでどこのグループにも自分の居場所を見つけられなかった。私はホリエモンさんがショートで言ってた人生あっという間に50歳という言葉に突き動かされたり、とにかくどんな方面から何を聞いてもどこにも属さないで1人になって自分の時間を最大限使えに終着してしまって結局一人でご飯を食べて一人で授業を受けていた。

それが寂しさの原因の一つでもあった。

私は自分の時間を大切にしたいという信念や近しい人の悪口を言いたくないという信念をあまりに強く守りすぎて大学において社交性を限りなく失ってることに気づいた。

再び皆を食事に誘ったりした。本音は言わなかった。特に自分の目指す方向については。

でも不思議と身に悶えるような寂しさはなくなった。もちろん自分の信念に忠実であるかっこよさは失われた。

でも、自分もあまりきれいじゃなくていいんじゃないかと思うときがある。こいつらしょうもないし、面白くないなと思う相手と一緒に居てもいいのだ。自分の心がやられない程度に。ほんとに仲良くなりたい人が現れるまで肩慣らししておくんだ。

案外人の寂しさは人として何一つ好きでない奴でも埋められるものなのかもしれない。


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