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三猿主義と父の標語(昭和17年)

日光東照宮の陽明門に、「見猿、聞か猿、言わ猿」という三匹の猿の彫刻がある。
「私は何も見ていません、何も聞いていません、だから何も言いません」これが三猿主義である。

江戸時代の庶民は、「ご無理、ご尤も」・・・お上の言う通りだった。
江戸時代だけではない。明治も、大正も、昭和の大東亜戦争が終わるまでは、言論統制の時代だった。戦争の好きな軍人が政権を取れば、すぐに戦争開始だ。明治以来の歴史が物語っている。(日清、日露、朝鮮併合、満州出兵等)

昭和十七年四月十八日、米空母から、機動部隊を乗せて飛び立ったB二十五・十六機が、東京、名古屋などを空襲した。初めての本土空襲である。
次の昭和十八年には、本土空襲時の混乱に備えて、上野動物園の猛獣を薬殺したりした。
女子挺身隊を結成したり、学徒出陣で大学生まで戦場に送る事態に追い込まれていた。
中野正剛が倒閣の容疑で憲兵に逮捕される事件などもあって、日本の終焉が見えてきた。
政府は何とかして国民をなだめ、「挙国一致」とか「八紘一宇」とか「撃ちてし止まん」「進取の気象」「世界へ勇飛」「聖戦」とか、名言を掲げて、黙って国に協力するよう、憲兵や特高警察が目を光らせていた。

こんな時だから、賞金付きの標語募集があった。
私の父は賞金稼ぎが好きだったので、早速応募した。
「迂闊な一言死活の大事」という標語が入選して、五円の賞金を貰った。標語は教育会館の垂れ幕に掲げられた。父は得意であった。
「迂闊なことを言うな」という三猿主義の最たるものであるから、政府の選者は喜んだに違いない。
父は「F子に賞金あげるから、辞書を買いなさい」と言うのだ。我が家にある辞書は古くて戦争用語が出ていないから不便だと言うのだ。
私は五円を持って本屋へ行き、言海と漢和辞典と最新国語辞典を買った。少々自分のお小遣いを足したが、昔は五円で辞書が三冊も買えたのである。

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