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【あべ本#15】香山リカ『がちナショナリズム』

これも「アベ本」だった!

このタイトルなので見逃していましたが、これも「アベ本」でした!

特に第5章では、安倍総理を「傲慢症候群」に当てはまると診断したり、ネット上で「安倍信者」からの攻撃にさらされ、さらには安倍総理本人から「香山は論外」と名指しされた件などに触れています。これを香山氏は《(敵はこの人ですよと)周囲に喧伝し、憎悪や攻撃がそこへ集中するよう巧みに誘導している》としています。

確かに私も、フォロワーの多い有識者のアカウントが一般人のアカウントを晒し上げて、暗黙の裡に「攻撃せよ」との指令を出してファンネルを飛ばす、といったやり方は、率直に言って「品がない」と思っています。特に、明らかに発言力に差がある場合。

ツイッターでつぶやくしかない一般アカウントと、ネットであれ何であれメディアで発信できる人とでは、ネット上では一見、フラットに見えてもその差は歴然。もちろん、「批判される覚悟も持ったうえでSNSを使え」というのもありましょうが、明らかにファンネルの動きを誘っているものは、やはり「品がないな」と思わざるを得ない。政治家ならなおのこと。

ただし、香山氏にもツイッターだけで6万人のフォロワーがおり、こうして立派にご著書も出せるわけですから、ある種の「力」をお持ちであることはご理解いただきたい、とも思うのですが。もちろん、総理と比べてしまえば動かせる「力」の差は歴然ですけれども。

ネトウヨが召喚した強きリーダー・安倍晋三

本書は2002年に刊行された『ぷちナショナリズム症候群』の13年後を描く、として、「ぷち」だったものが「がち」になったことを憂う内容となっております。

そしてその「がち」の象徴こそ、安倍晋三その人であり、権威主義、パターナリズム、分離不安などを抱える現代日本人が、不安を払拭するために召還したのが強いリーダー・安倍晋三なのだ! という寸法。だから、安倍総理がお墨付きを与えた「敵」に対して、安倍信者たちは有無を言わさず攻撃に走り、その「敵であるところの理由」は嘘でもなんでも構わないのだ、というネット上の現象を、自身への攻撃を含めて分析。

根拠なき在日認定や、とにかく左翼と見るや叩くことで、自身が「左翼でない」ことを周囲に知らしめんとするかの言動。そして先にも触れた、有識者によるファンネル使い。嫌だなと思うのですが、これって右でも左でも行われていることにように思います。

ざっと読むと読めるのですが、じっくり内容を把握しようとすると本書はどうも取っ散らかっている印象で、やたらと「分離不安」の説明が長くて道をそれて行ったり、「安倍もネトウヨも出てこないな…」と思ったりするのですが、その理由は、なんとこの本の(分離不安の説明を長く行う)2章と3章は、『ぷちナショナリズム症候群』の一節に加筆したものだというじゃありませんか! 

『ぷち~』が手元にないのでわかりませんが、少なくとも『がち~』のほうではこの二章が浮いてしまって(心なしか文体さえ違うように思える)、ちょっと残念でした。「ちくま新書でもこういう(取っ散らかる)ことあるんだ……」と。

ネット上の関連案件には結構詳しかったりもして、これを香山氏が自ら(本職の合間に)コツコツ調べたりチェックしたりしているとしたらすごいな、よくそんな時間があるなと感心する向きもあり、また「ネット右翼関連本」は当然一通りチェックされているようなのですが、その一方で気になるところがあります。

「ぷち」から「がち」へ成長したというのだが

それは『ぷちナショナリズム症候群』で指摘した「サッカー日本代表の試合で盛り上がってしまうような」ライトな愛国心が、ついに『がちナショナリズム』に成長し、排外主義や安倍信者を生んでいるのではないか、というある意味この本の根幹にかかわるところ。

しかし、2002年のW杯でフェイスペインティングをしたり、日の丸を振りかざしたり、てらいもなく日本を応援し、街中のバーやパブリックビューイングなどでサッカーを見て盛り上がっていた人たち、近年では国際試合とあらば渋谷に繰り出す人たちと、(香山氏がいうところの)『がちナショナリズム』の持ち主とされるネトウヨの人たちは、果たして同一なのだろうかという疑問がわきます。

むしろ、ネトウヨは「2002年W杯で韓国の不正が報じられず、友好ムードばかりが盛り立てられたことに腹を立てた人たち」がその源流であるとする分析もあるほど(これ自体が「ネトウヨ神話」ではないかという疑いもありますが)。基本的に「ネトウヨ」傾向のある人はメディアへの疑心を持っているわけで、メディアが煽る「絶対に負けられない戦い!」的な文句でがちの愛国心を高めるだろうか、と。

第一、本書でも他者による「ガンバレニッポンとてらいもなく言えるサッカーファンと、ネトウヨは別である」としている分析を引いています。

それを引用したうえ、さらに「日本には排外主義運動の基盤になるようなサブカルチャー(フーリガンやスキンヘッド)が、実質的に存在しない」という学者の分析を引用し、さらにさらに「現実のサッカーファンの間では排外主義は厳しく取り締まられてきた」という意見まで紹介している。

これらの引用からは、間違いなく「サッカー日本代表の試合で盛り上がる『ぷちナショナリズム』な方々と、ネットにあてられ排外主義的と安倍礼賛を併せ持ったネトウヨとは(一部重なるとしても全体としては)別モノ」と結論付ける必要があると思うのですが、香山氏はなんと「現実の『場』を持たないからこそ、ストッパーがかからず《スポーツ→排外主義》というショートカットが起きたのだ」という。これはあまりに無理のある論理展開ではないでしょうか。

「頑張れニッポン!」系の人が、「日本スゴイ」系テレビ番組に抵抗を感じず、そうしているうちにプロフィールに「日本を愛する普通の日本人です」と書くようになり、その手の情報を集めているうちに「本当のことを言って何が悪い! 日本をかばって何が悪い!」という意識になり、排外主義的傾向を持つようになる…というならまだわかります。が、香山氏はこのような経路ではなく、《スポーツ→排外主義》という「不幸なショートカット」が起きたのだとしているので、どうも話がおかしくなっている。というか、根拠が示されていないんですよね。

スポーツにおける韓国チームや韓国人選手の不正を調べるうちに排外主義に行きつくというのですが、それはきっかけとしてはあっても、いわゆるネトウヨ像になるまでにはあまりにもショートカットしすぎではないか。恐らくその間には「韓国を糾弾するようなことをSNSに書いて強い反応を得た」みたいな経験がないとそこまでには至らないのではないかと。

また2002年にナショナリズムが高揚しているとして観測された人たちと、2015年時点のネトウヨとで、その世代の移動はどうなっているのか、全く言及がありませんでした。

精神科医による社会分析に限界はあるか

精神科医である香山氏に、ネトウヨ増加・過激化の要因を社会的に分析させようということ自体が間違いというか、読み物としてはアリでも、厳密にはこれを正しい右傾化の社会分析として使ってはいけない、ということかもしれません。

そもそも本書で引用している「ネトウヨ分析本」自体が、いわゆるルポの類であって(その価値を否定するものでは全くありませんが)、書き手の切り口によって印象も結論も大きく違うものを無批判に引用しているために上記のような混乱もあるのでしょう。学術的と言えるのは社会学者である樋口直人氏の『日本型排外主義』くらい。

実はこの本、香山氏が引用している安田浩一氏の本と「在特会メンバーの階層分析」において食い違っています(安田氏は在特会メンバーを「ほとんどが非正規雇用」などとしたが、樋口氏は学歴も職も中産階級である、と分析。しかも在特会の同じメンバーを調査したのに結果が食い違ったという)。

精神科医の書く社会評論は私も嫌いではないし、「ヒトの精神が分かるのだから、その集合体である社会のあり様も普通の人よりは分かるだろう」というのはあるのでしょう。それ以前に、「お医者さんで頭がいいからいろいろ知っている」とか。香山氏の著作を見ても、確かに社会を切る観点には独自のものがあり、あたりはソフトだし、ハマる人にはハマるんだろうなと。

しかしこれ自体が、実は社会の権威主義的な部分に乗っかっていることは、指摘しておきたいところ。「お医者さんが言うのだから」「メディアにあれだけ出ている人が言うのだから」というのは、権威主義の一種だろうと思います。

そもそも「ネトウヨ」とは?

ここからは若干、レビューとは離れますが、私自身も香山氏の「診療対象」というか、ナショナリズムは強く持っている方だと思います。しかもサッカーではしゃぐ「ぷち」のほうでなく「がち」のほうですが。しかし私は安倍政権については支持できない政策も多いし、どちらかといわずパターナリズム的なものは「おととい来やがれ」な気質。

私自身のナショナリズムが自覚されたのは北朝鮮による拉致被害者が帰国した出来事によります。自分では「ネトウヨ」という略称がつく前の「ネット右翼」に分類されるのは全く文句はないのですが、私自身をネトウヨのサンプルとしていいのか、あるいは亜種なのか、それとも「あくまでもネット右翼であってネトウヨではない」のか、この辺りも突き詰める必要がありそうです。

というのも、最近ようやく学者によるネット右翼分析本というのが出てきましたが、それまでは「ネトウヨを敵視する人」か「自称ネトウヨ(元を含む)」という人たちの見解が社会では広く引用されており、これが果たして実態のネトウヨをとらえているのか疑問だからです。また、ネット右翼と言っていた/言われていた時代から、20年近く経つ間にその性質も変わってきています。

何でもかんでも気に入らないものをネトウヨとするという向きも出てきていますし、確かにかつてのネット右翼から見てもこれは問題だと思うようなネトウヨも出てきています。そもそもどういう人たちを指すのか、社会分析的にきちんと説明した方がいいのではないか。

そのための協力は惜しみませんので、もし、「ネット右翼の一例」として分析用の素材を探している方や、右派の心理などについて知りたいという方がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。

サポートしていただけましたら、それを元手に本を買い、レビューを充実させます。