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あべ本【アベ本/安倍本】を読む理由

noteというおしゃれ空間でこんな話題をやるのもどうかという話もありましょうが、まずはこの記事から。

アゴラでも記事を公開させていただいていますが、並み居る執筆者と同じ土俵となればかなり気を使って記事を書く必要があり、もう少し気楽にコンスタントに書けるよう、noteではツイッターの延長線上でありつつも、まとまって記事を書きたい際の場所として、公開していこうと思います。

ところで表題です。私は安倍政権発足後間もなくから、政権に関する本をできる限り購入して読んできました(見出し画像はたまたま近場にあった本を積んだため、批判的なものばかりになりましたが…)。私自身は右寄りなので安倍政権には期待もありましたが不満や批判すべき点もあると考えており、その意味で「反安倍でも親安倍でもない」状況にあります。

他の政権とはまだはっきりと比べたわけではありませんが、安倍政権に関する本はかなり多く、それは政権が長く続いているから、というだけではなさそうだというのが、ここまで「あべ本」を読んできた感触です。

なぜ「あべ本」とひらがなにしているかというと、政権に肯定的、あるいは客観的な分析を行っている本や記事では「安倍(政権)」などと漢字を使っているのに対し、政権に批判的なものは(さすがに本のタイトルではないものの)ツイッターなどの表記を見ても「アベ」とカタカナにする例が散見されるからです。双方をまとめて表現する際には「あべ本」とし、それぞれ属する方の表記を使い分けます。

せっかく読んでいるので、レビューを書いておこうというのが趣旨です。(もちろん、あべ本以外にも読んだ本に関する記事なも公開する予定です)。

さて、なぜ「あべ本」を読むのか。その理由は、「批判にしろ賛成にしろ、一方だけの見解だけに触れているのはよくないから」。これだけ多くの「あべ本」が出るということは、賛否を問わず、あるいは客観的な評論であれ、そこそこ売れているからでしょう。しかし多くの方は、自分の考えに近いものを選びがちではないかと思います。

当然ですよね、なけなしのお金を払って本を読む、あるいは図書館で借りてくる手間をかけるのに、「自分の意見とは全く逆」の本を選ぶことはそうそうないかもしれません。

しかし、「もしかしたら発見があるのではないか」。全く逆の立場の人たちが抱いている政権への不満の中に、「あーそれそれ、それは一緒だわ」というものがあるかもしれない。また「てっきり安倍応援団だと思ってたけど、意外に厳しいこと書いてるな」という発見もあるかもしれません。

それを見つけたくて読んでいる、というのが「理由」です。果たして見つかったのかどうか? それはこれからたびたび公開する(はず!)のレビューをぜひお読みください。

いま、「分断」が懸念すべき現象として語られています。中でも、もっとも「分断」しているのが、この「安倍政権に対する評価」でしょう。ツイッター上の、反安倍・親安倍の物言いは、ますます過激になり、「敵方に対する1ミリの譲歩も許さない」状況となっています。

なぜこうなってしまうのか、この「分断」が発展的に解消する、あるいは建設的議論になる可能性は皆無なのか。副産物かもしれませんが、そんなことも、「あべ本」から見通していければと思います。

まずはご挨拶。どうぞよろしくお願いいたします。

サポートしていただけましたら、それを元手に本を買い、レビューを充実させます。