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【あべ本#6】青木理『安倍三代』

深く広い取材で「三代」を浮き彫りに

前回の末尾からの流れでご紹介。

青木理さんは時事コラムやテレビでのコメントを見るたびに絶句することも多いのですが、この本はなかなか面白く読みました。取材の量も膨大! あとがきによると本稿を連載していた『AERA』編集部の尽力もあったようですが、それにしても安倍家三代の地元や人脈を相当深くたどっています。

安倍晋三の父方の祖父・安倍寛について晋三自身が語ったことはほぼないようで、それを「政治意識形成に大きく寄与した」と晋三が折に触れ語る岸信介との対比で意地悪く指摘する向きもありますが、政治家として忙しく家を空けがちな父から聞く機会がなければ、父方の祖父について知りようがないし、母の実家である岸家との距離が近くなるのも、まあ当然と言えば当然ではないかと。晋三は岸にかわいがられていた一方、寛は晋三が生まれる前に亡くなっており、顔を合わせたこともない。

寛が反戦平和主義者であり、大政翼賛会に反発した人物だったことをもって「(父方の)祖父は立派なのに、晋三ときたら…」といいたげな指摘もある(例えば望月衣塑子&特別取材班『「安倍晋三」大研究』)し、本書もそういうことを言いたくて書いている節はある。例えば、第一部「寛」の章の末尾。

《(寛の地元である旧日置村の)街道沿いのところどころには、鮮やかなカラー刷りの自民党のポスターが貼られていた。誇らしげに斜め上を見つめているのは首相の晋三。脇にひときわ大きく記されている文字は「地方こそ、成長の主役」。これもまた、とてつもなく現実と遊離した政治スローガンである。寛ならきっと、渾身の憤りをもって反旗を翻したに違いない》

岸の影響を晋三が折に触れ口にしていることを差し引いても、「祖父は立派なのにあんたときたら」的な言い様というのは、保守が言うならともかく、リベラルな方が言うとなると、どうも前時代的なものを感じてしまいます。

これは安倍晋太郎と晋三の比較でも同様で、晋太郎に対する地元の在日韓国・朝鮮人の支援があったこと、良好な関係を持っていたことを述べ、晋三も地元に帰ればこうした人たちのお店を訪ねることまで書きながら、《だが、その振る舞いはどこか薄っぺらいように見える》《少なくとも、父・晋太郎を支えた在日コリアンコミュニティーへの深い理解や配慮は感じられない》としている。

同じ地盤や人脈を引き継いだからと言って、そこへの理解や配慮までそっくりそのまま父から子へ継承されるわけはない。日頃、「家制度」などに疑問を呈し、「個人」を尊重しているはずのリベラルがなぜ(「政治家」という同じ職業を選んだにせよ)「血脈」にこだわり、「祖父や父の意志を無視しているぞと批判する」のか、引っかかるところです。

もちろん、私のような一般人だって父方、母方の親類縁者の影響を何らかの形で受けているわけですが、受けた影響が正で出るか逆を行くかも違うし、それ以外の、生きる上で摂取してきた様々な情報や知識にも左右されるのは当然のこと(この点は筆者も書いてはいましたが)。

ましてや、晋三の評価を落とすことが前提となって、寛や晋太郎を評価したり、(本来リベラルであれば反発が多いであろう)岸信介さえ、「思想はともかく政治家としては大人物。それにくらべて晋三は…」といった持ち出し方をするのは、よくあるパターンであるだけになんだかなと思わずにはいられません。

「語ることが多い」から本もたくさん出る

「あべ本」に該当する書物は、第二次政権成立以降でもどうやら100冊を超えそうなほどに出版されています。これは政権自体が長期であることだけではなく、「岸信介の影響」「安倍寛―安倍晋太郎からの流れ」「晋三の母親である洋子の存在」など、いわばぽっと出の非世襲議員よりも分析材料が多いからでしょう。

この本のように、証言者を訪ねまわって、「寛や晋太郎はどういう人だったのか」「安倍晋三はどんな幼少期を過ごしていたのか」を掘り起こすことはもちろん意義深く、読んでも面白かったことは間違いありません。世襲議員の問題点にも言及していて、それは同感する部分も多くあります。地元の方が世襲議員を求めてきた部分もあるのでしょうが、今後はこの辺りも変わっていくかもしれません。

「安倍晋三」は信念の人か否か

最後に、この本だけでなく反安倍的な方々の安倍晋三評として「空疎」「空っぽ」「凡庸」「核がない」という表現がよく見受けられます。本書でもこんな言いざま。

《ひょっとすると本人は核らしきものを持っていると思い込んでいるかもしれないが、そんなものは所詮後づけの皮相な代物であり、地と知にきっちりと根ざしたものではない――青年期までの晋三を徹底取材した私にはそう確信するに至った》

これは親安倍派の人々と真っ向対立している点でしょう。

私は右寄りではありますが、安倍政権に疑問も持っており、「安倍総理こそ最高にして最後の保守の星!」などとは思っていません。だからこそ一方で、「こんなにリベラル寄りの政治もやっているのに、どうして左派はそこだけでも評価しないんだろう」とも思っているわけですが。

安倍総理は果たして空疎で空っぽなのか、ぶれずに保守の核を貫き続けているのか。凡庸で無菌室育ちのお坊ちゃんなのか、それとも稀代の政治家なのか。いい意味でも悪い意味でも現実主義なのか、政権の継続しか考えていないマキャベリストなのか。これも「あべ本」を読むうえで大事なポイントなので、今後も「あべ本レビュー」をする中で探っていきたいと思います。

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