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エゴまみれ

どんなに大好きな人の中にも
嫌いなところがあるみたいに
自分の中にも好きなところ、嫌いなところ
色々ある。

口ではきれいなことを言っていても
心の中では
マウントを取ろうと必死になってるわたしがいたり
誰かと話しているとき
自分と比べて優劣をつけ
ジャッジして
わたしの方が分かってる優劣感
その反対に劣等感やら罪悪感やらうずまくときもある。

近しい人が放った一言にカチンときて
その小さな小さな火種に必要以上に発火してしまうのも
火の女のわたしの特性であり、なかなか改善できない
わたしの嫌いなとこのひとつ

とにかくあげたらキリがない

でも、いつも思うのよ。

わたしらしさって
ご機嫌な時もあれば
不機嫌な時もある。

陽なのはオッケー
に対して
陰なのは否定されがちだけど
嫌なことをちゃんと「嫌」だと
言わしてあげたいし、
モヤモヤしたり
悲しんだりも思う存分やったらいいと思う。

わたしが好きだと思う人のこと
いやだな、そういうとこ嫌いって思うとこも
含めてやっぱり好きだと思えるみたいに

自分のそういうどうしようもないような
ゲスでブスで陰気なわたしも含めて好きってならないと
結局は周りの人を本当に好きになったり
本当に愛するってことができるわけないよねって

エゴまみれのわたし
それが何か?

あやこさん、本当に素敵よねーーとか
正直言われたらうれしいなって思うし、
うんと褒めてもほしいけど(笑)

わたしは本当に
まだまだ、そんな人間らしい人間してます。

でも、それって
自分の中のことだけではなくって
あらゆることにつながってるなって思うわけ

食べ物でも世の中の大きな流れのことでも
光だけを追い求める偽スピリチュアルも
これはいいけど、これは悪い
これは善だけど、これは悪

よいものだけを追いかけ
それだけを受け入れ
追い求めれば求めるほど
結果、大きな分離を生んでるって思うわけ

よいもののを追い求めて
それだけを受け入れるということは
その反対を否定して
その反対側の人を否定する、ジャッジするということも
同時に起こってくることだから

自分は正しいものの中にいて
正しいものだけに囲まれていると錯覚しても
その反対側をガンガン否定し
優越感に浸るというエゴが増大する。

わたし達って結局は
どちらか片方に存在することはできない

いいことも起きるし
自分にとってよからぬことだって起こる

この世界は陰陽の世界で
成り立っているから

エゴまみれな自分の闇を見て気づくことは
それがある周りの人を愛することだし
それがある世界を丸々愛することにつながっていく

きっと陰陽を超えたところで
物事が見えたなら、世界は変わっていくよね

その上ではじめて
真ん中のわたしはどこかなと探りながら
成長していける 
 
その成長が世界を同時に成長させていく 

いい恰好してたって
いいこと言ってたって
わたしは違いますって顔してたって
誰にだって少なからずあるでしょ!?

それも含めて
わたしはやっぱり
人間くさい人が大好きだ。
 


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