知ることは幸せか?

先日youtoubeである経営者の人が対談してるのを見ていた。

そのうちのお一人は、北朝鮮に行ったことがあり、みんながとても幸せそうだったと語った。情報が閉ざされているから、他を知らず比べる対象がないから幸せそうだったと。(まぁもちろん、その人が目にした人達は、北朝鮮の中でもある程度の上位の層の人達だと思うし、その方も承知の上で仰ってたと思う。)


最近ちょっとSNS疲れたなぁっと思っている私には、納得できる話だった。


開かれてる国に住む私達からすると、北朝鮮に住む人達は、政府の策略のまま、幸せだと思い込まされている状況に見える。外を知らずに幸せだと思い込んでいて、情報を持たず、囚われ、洗脳されていて不憫だと。


確かに情報にアクセスできることは、有益なことだ。

ただ確かに有益だけど、知ること、知れることが幸せと繋がってるかというとそうではないと思う。

インスタやフェイスブック、ツイッターでいろんな人の考えや状況や生活を知れることになった。

知った時、それが、面白かったり、癒されたり、刺激になったり、必要な情報に出会えたりといい方向に働く時もある。でも自分の状態によっては、自分よりも楽しそうな人、充実してそうな人のことをたくさん知ってしまい、それが比べる対象となり、不幸の種になることもある。

美味しそうなご飯の写真を見て、いいなぁ、食べてみたなぁ、美味しそうだなぁと思う。

あ〜でも、この店北海道かぁいけないなぁとか、コース料金3万かぁ、とか。

ハワイかぁ、ニューヨークかぁ、パリかぁ。

こういう花の仕事してるんだぁ、とか。

一瞬だとしても、羨ましかったり、諦める気持ちとか、それが実現できない自分の無力さとか感じる。

そんでスクロールしてくごとに、どんどんそういう情報を目にして、一瞬ずつの小さな負が蓄積して、なんだか疲れる、みたいな。

知ったものを全部プラスに転換できる力のある人もいるだろう。

しかし、少なくとも今の私は、知れたら知れただけいいってタイプじゃないなぁと、最近思う。


その対談でも話に上がってたけど、情報を得て選択肢が増えることは、必ずしも幸せなことじゃないよねって。


まぁそんなことを書きつつ、きっかけはyoutoube出し、それをnoteで書いてるし。なんやかんやネットとベッタリなんだけど。苦笑


自分にあった距離感を考えてる、今日この頃。


ayako








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Ayako Kakoi

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