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[ピリカ文庫] 今日もアレレマートで 前編



繭子は、大抵のことには動じない。
「若いのに落ち着いているわね」とよく言われる。
ただこのお客さんだけは。
いつも、繭子をほんの少しざわつかせる。
五十嵐 繭子。35歳。独身。
アレレマートにはパート職員で32歳の時に入職した。
レジ打ちをして、3年目になる。
32歳の時に、離婚をした。子供がいなかったから、さほど揉めることもなく、淡々と別れた。
別れた夫は、言った。
「繭子といても、寂しいんだよ」と。
感情の起伏が乏しく、浮き沈みのない穏やかな性格が好きだと言った。
時を経て、感情が見えづらく、一緒にいても何を考えているのか分からない、閉鎖的な印象が不安だと言った。
人は見たいようにしか、見ていないし、自分に都合の良い解釈をものさしにしているものだ。

アレレマートは、地域で最安値を謳うスーパーであり、それゆえに品質に多少難あり。というのが、繭子の正直な見立てだ。

国道沿いの車往来の多い立地のため、店から出る時には、毎回大縄跳びを思い出す。
あの車が行ったら。そう思うと反対車線から車が。
タイミングを図れずに、ぐるぐる回る大縄を見上げて逃げ出したくなる。だから、繭子は仕事以外でアレレマートには来ない。


カツ子さんは、レジを打つ繭子に言った。
「こないだ買ったスイカさ、カボチャみたいだったって。」

カツ子さんはアレレマートの常連の70代ぐらいの女性だ。なぜ、レジ打ちの私が名前を知っているかと言えば、よく、他のお客さんに呼ばれているから。

カッちゃん、久しぶりだね。とか、カツ子さん、こないだありがとうとか。

カツ子さんは名前の通り快活だ。親しみやすい風貌で、一気にパーソナルスペースに踏み込む。

スイカがカボチャ!繭子は戸惑いながらも、何かを口に出さなくてはと、ぱりんこのバーコードを通しながら思案する。
「スイカが、カボチャだと事実どんな食感ですか?」ただの夏休み子供電話相談室である。

「なんかね、カッスカスらしいよ。98歳のうちの母がね、そういうのよ。このスイカはカボチャか?ってさ」

カッスカス。味気のない、ただ繊維質な塊が浮かぶ。

「大変申し訳ありませんでした。青果担当のものをお呼びした方がよろしいですか?」と尋ねる。

「ううん、いいのいいの。次の仕入れの時に気をつけてもらえばさあ。五十嵐さんからちょこっと言ってくれたらさ。ばあさん、なんだかんだ、カボチャだよって言ったら食べたしね」と笑う。

カツ子さんみたいに言えたらよかった。繭子はいつもそう思う。考えすぎて飲み込んだ言葉をいくつもいくつも思い出す。だから、カツ子さんは厄介だ。

カツ子さんの買ったプラスチックに入ったすももの4個入り。多分一つは痛み始めているかもしれない。
また、カツ子さんは教えてくれるかもしれない。
カツ子さんは働く私の何倍も、アレレマートを愛している。と繭子は思っている。



7月の土用丑の日。アレレマートでは毎年この時期に、総菜コーナーでうなぎの蒲焼を大安売りする。今日はそれを目当てのお客が多く、繭子は1時間残業をした。
タイムカードを押して、従業員駐車場へ向かう。
「あ、茶々丸のご飯ないんだった!」
繭子は急いで店に引き返し、今度はお客様入口から入って行った。

茶々丸は飼い猫で、離婚して1年後くらいに繭子のアパートに迎えた。
いつもは近所のホームセンターにわとりでキャットフードを買うのだが、
今日はすっかり時間が遅くなり、もうにわとりに寄るのも面倒なので
アレレマートで調達して帰ろうと思った。

ペット用品売り場は、入り口から一番奥の角にある。そこを一直線に目指して行くと、「にゃ~~お、にゃ~~お」と鳴き声が聞こえた。ペット用品売り場は、猫と犬に別れていて、人が近づくとセンサーでそれぞれ鳴るのだ。
電子音が苦手な繭子は少しひるみながらも、目的の棚へ向かう。
「あれ、この缶詰、こんな値段で売ってるの?」
ホームセンターにわとりと比べて、同じ商品でもかなり安く売っているので驚く。消費期限も問題はない。
それならと、数個まとめてかごに入れていると
「あら、五十嵐さん?今帰り?」
犬用品のコーナーから、昼前にレジに来ていたカツ子さんが、ひょっこり首を伸ばしていた。
「え、カツ子さん。お買い忘れでも?」

カツ子さんは目を丸くして
「やだ、今日は今来たばかりだよ。誰か似た人でもいたかね」
と笑う。
だって、スイカがカボチャだったお話してたじゃない?
繭子はそう思うが、まあいいか、カツ子さんど忘れしているんだ。
これ掘り下げると、来た来ないで面倒だし、いいや。
繭子は「そうだったかしら、ごめんなさい。それじゃ失礼しますね」とレジへ向かおうとした。

「あらカッちゃん!こないだはありがとね」
犬用品の棚の方から、元気のいい声が聞こえた。「ああ、ユキエさん」カツ子さんは振り向いた。
ユキエさんは不思議そうに「ペットのところに何の用?」と言う。
「ウチのボンちゃんのおやつを探してるのよ」
カツ子さんは歌うように答えて、探し始めた。
ユキエさんは複雑な表情を浮かべながら「この人、犬なんか飼っていないんだけどなあ」と、繭子にささやいた。

☆☆☆

美優は、途方に暮れていた。
台所にある犬用の缶詰は空になっていて、されど我が家にはもう愛犬のボンはいない。

祖母のカツ子が、おかしいなと感じるようになったのは、曽祖母のあけみが亡くなった頃からだ。
美優の曽祖母である、あけみは重度のアルツハイマー型認知症で、娘であるカツ子は、美優が驚くほどに熱心に介護していた。

10年以上に及ぶ介護が、あけみの死で幕を閉じると、程なくして愛犬のボンも寿命を全うした。

カツ子はひとときに、心を傾けていたものをなくした。周りの人には
「気楽だわ、やっと私の時間ができた」と元気に笑い飛ばしていたが、あけみの好きだったスイカを買ってきては傷ませたり、
ボンのご褒美にと買っていた缶詰を、サバ缶と勘違いしたと笑って平らげたりした。

美優は、母がいない。美優が小さい時に、母は背中を向けてあの玄関を出て行ったきり、一度も振り返らなかった。

カツ子は美優にとって、祖母であり母であった。
「おばあちゃん、あけみさんのDNA受け継いじゃってるじゃん。」美優はうっすらと自分の周りに膜が張るように感じた。
息苦しい。身体が重い。信じたくない。
逡巡する不安を父に言ったところで、「歳なんだからそんなもんだろ。」と受け入れなどしないだろうし、何より、カツ子は自分が認知症だとわかれば自死を選ぶだろう。

美優に自分と同じ経験をさせるぐらいならば、首を吊ることなど朝飯前だと笑うだろう。
認知症は治らない。それは美優もよく知っている。
だから、今までより少しだけおばあちゃんのそばにいよう。と思った。
おばあちゃんに気づかれないように。おばあちゃんに気を遣わせないように。

大学2年の美優にとって、オンラインで講義が受けられることも味方だ。
とりあえず、買い物には付き合うことにした。
運転の練習したいから、一緒に行っても良い?というと、カツ子は「もちろんだよ!美優の好きなおやつ買ってあげるよ」と笑う。

おばあちゃんは、おばあちゃんのままだ。美優のことが小さい小さい美優に見えたってなんの不思議もない。

翌日、手付かずの犬用の缶詰を自分のバックに忍ばせて、アレレマートへ車を走らせた。
カツ子には内緒にした。
お店の人に事情を話して、返品の相談をしよう。そう考えていたからだ。

レシートはカツ子の財布から見つけた。
カツ子は毎日アレレマートに通っていた。たった3人暮らしの食糧や日用品ではないことを、長いレシートから感じる。
おばあちゃんは、あけみさんやボンがいる生活をいまだに生きている。

少しずつ少しずつ、美優は自分に言い聞かせる。
まずは、アレレマートに味方になってもらおう。だって、カツ子の社会はアレレマートしかないから。
左にウィンカーを出して駐車場に入る合図を出す。前方からくるトラックのパッシング。
さあ、お先にと私の左折を促してくれる。

ハンドルを握る手が汗ばむ。カツ子の合図には、おばあちゃんのウィンカーには、私がパッシングで答えるしかないからね。

(後編に続く)

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