だから伝える
バクゼンさんがnoteを書いた。
あなたは、今を生きるということや慈しむということを、どうお考えですか。と書いてある。
コメント欄に沢山の方の思いや考え方が寄せてある。
人のものの見方や捉え方を知ることで、自分の考えのもやが晴れて視界が開けることがある。
また、問われる側も自分を見つめ直すこともあり、相互にもたらされるものがある。
コメントをいただけたら嬉しい。記事を書いてくれたらそれも嬉しい。とバクゼンさんが書いている。
それならば、noteを書いた方がバクゼンさんが喜ぶ気がして、喜ばせたがりのためnoteを書こうと思った。
私は、あの人を喜ばせたい。という人がいる自分の人生を愛している。
好きな人がいるというのは、幸せなことだ。
好きになるとは。
いろんな気持ちの行ったり来たりがあったということで、その気持ちのやりとりが心地よかったということに尽きる。
そんな交流に恵まれたことに感謝している。
今を生きる、慈しむということは、私にとって
周りの人を大切にするということに尽きる。
自分の時間をどうということよりも、一緒の時代を生きて、たまたま出会い、支え合う関係に恵まれた人を大切にしたいということを意識している。
20代後半の頃、リリーフランキーさんの書かれた「東京タワー」という本を読んだ。
私が、大切な人は必ず死ぬ。ということを咀嚼したのがこの本だった。
人間に与えられた唯一の平等が死である。
当たり前のことなのだが、それを飲み込むまでに随分と時間がかかり、闇雲に恐れたり遠ざけたり見ないふりをしていた。
いつか必ず別れる。いつか必ず会えなくなる。
大切な人と過ごす時間は有限で、貴重である。
そのことを、自分に落とし込み自覚するきっかけになった。
この「東京タワー」の読後から、自分の気持ちは正直に伝えることを自分に課している。
特にそれが、敬意や愛情を伴うものであれば、
隠したり照れたりはしないことにしている。
あの時、伝えればよかった。という後悔だけはしない。と決めている。
それは私がnoteを書いているということの真ん中でもある。
通り過ぎていく感情を掬い上げて、言葉に置き換えていく作業はまさに、私の生きるを誰かに伝える作業である。
noteを書くことは、今を慈しむということにほかならない。
私はnoteを大切な人のために書いている。
今という時間をともに生きている大切な人のために書いている。
それが自分のために書くということでもある。
私にとって今を生きる、慈しむということは
伝えることに真摯でありたい。ということだ。
だから、伝える。
ありがとう、大好きです。
バクゼンさんには、何回言っても足りないと思っています。
お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。