手書きのエンドロール
私が、自分の意思で1人で映画に出かけたのは、高校1年生の5月だった。
ぴあを買って、上映している映画館を調べた。
朝一番の回に間に合うように自宅を出た。
手にしたばかりの定期で、不足分を精算した。
Suicaなどない時代だった。
大事を取りすぎて、9時15分からなのに、8時過ぎには新宿に着いた。
新宿の南口から徒歩3分のところにあるその映画館は、シネマアルゴ新宿という名前だったと記憶している。
映画館の前で開場を待った。当時はスマホもなくて、ぼんやりと緊張しながら、その緊張がバレませんようにと無表情を繕い、立っていたと思う。
グレーのカットソーに、リーバイスの501をはいて、リュックを背負っていた。
どこからどうみても、新宿には不釣り合いだった。
ペラペラとぴあをめくりながら、朝の新宿の徐々に活気付くようなうごめく空気に怯えながら時間を過ごした。
映画館が開場し、一番乗りで入った。チケットを買い、学生証を見せた。
受付の人はにこやかに迎えてくれて安心した。
私が見たい映画は、R-15指定で、私はしっかり15歳だった。見た目が小学生みたいな私は無事に入場できたことに、心底安堵した。
映画は、私が当時から今もずっと大好きな永瀬正敏さんの出演作品だった。
話のスジやら、映像やら、そんなことよりも永瀬正敏さんが見られれば良いという節操のなさだったが、物語に引き込まれ、身体がどんどん重くなった。
相手役の大竹しのぶさんのうらぶれた佇まいに、気圧された。
私が今、15歳の子供にあの映画を見せたいか?といえば、見せる必要はないと思う。
ただ15歳は、自分で見たい映画を観るべきだと思う。ただ、そう思う。
身体がシートにのめり込むほどに、心の湿度は上がっていた。すぐには立ち上がれなかった。
最後のエンドロールに、たくさんの名前が流れる。
全て、監督の手書きで書かれていた。
この作品に携わるすべての人の名前を監督は手書きで書いていた。
見ず知らずの人の名前をあんなに真剣に見たことは、あれ以来ない。
私は泣いていた。
これほどまでに心を込めて、映画とは作られるものなのか。
これほどまで大勢の人が携わり、映画とは成立するものなのか。
私がそれ以降、結婚に至る20歳までの間、隙間時間があれば映画館に出向いたのは、あの日の石井隆監督に出会ったからに他ならない。
その作品は「死んでもいい」という日本映画である。
あれから石井隆監督の映画は、欠かさずに映画館で観ていた。
夜の新宿で見ると、肩で風を切って駅に向かった。
***
今回、文学フリマに出展する本の巻末には、
縁があって、出会い、私のnoteを支えてくださったみなさんの名前を載せています。
おだんごカスタマーセンターというnoteで寄せ書きにご参加いただいた方、また、今回本をつくるにあたり、ゲスト執筆をお願いした方のお名前を記載しました。
手書きではありませんが、私としては、あの日のエンドロールの感動を継承したつもりです。
また、本の掲載には間に合いませんでしたが、延長募集に、プッククンがメッセージを寄せてくれました。
ああ、やってよかったよ。プッククン、本当にありがとう。
手書きのエンドロール。
15歳の私も手を振っています。
お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。