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何かに夢中な時には、おいてけぼりがそばにある


誰かが自分には思い及ばないことに夢中になっている時って、寂しくないですか?


その誰かが、自分の好きな人だと尚更。


素敵だな。すごいな。応援したい。と同じラインになんだか寂しいな、置いてけぼりみたい。って私は思います。


どんなにあがいても、同じ熱量にはなれない。


なんなら、逆に冷めてしまう。


♪ファイト、戦う君のことを〜戦わない誰かが笑うだろう〜♪と中島みゆきさんが歌うとき、私は戦う人にも戦わない人にもシンパシーがあります。


どちらの経験もあるからです。


今、「1000本書いたら本を出す」という自分の成すべきことに向けて、ひたすらに自分の文章と向き合っていて、誰かを置いてけぼりにしているだろうなと思っています。


noteを書かないことをつまらないと思わせたり、読みに行かないことでどうしたのかな?と心配させたり、がっかりさせたりするかもしれないと、そう思っています。


随分と自意識過剰に聞こえるかもしれませんが、そういうお付き合いをしてきたし、しているという自負があります。


自分に夢中になって手が回らないという状況は、気持ちの距離を感じさせてしまう可能性があります。


ただ、どうしてもやり遂げたいし、どうしてもカタチにしたい。今はそれだけを思っています。


ただの素人ではないんですよ。


こっちは、ただのおばさんなんです。


真剣にやるしかない。


Wordでルビがふれないし、画像は挿入できないし、検索と置換なんて初めて知ったし、校閲かければ、システムに対して「ここは、んじゃなきゃだめなんだよ。のじゃないんだよ!!」と喧嘩をうったり、おんなじことばかり、ブレーンに訊いたりしています。


本当に信じられないくらいのダメおばさんですが、裏を返すと伸び代しかないです。


ルビふれるようになったし、画像ちゃんと揃えて挿入して、検索と置換でやらかして鉤括弧、全部消しても笑ってやり直します。話し言葉と書き言葉、句読点の位置、表現としての漢字かひらがなかの選択。考えて、書き直して、また読み返して。


自分の文章をおばけといいましたが、放っておくと、てんでバラバラに散ってしまうような言葉を、仲間の力を存分に借りて繋ぎ止めて落ち着かせています。


誰かの寂しさに甘えて、成し遂げた暁には、
その寂しさを笑顔にするものを手渡したい。


そう思っています。


本の仮入稿が終わりました。


滞っていたことに向き合い、普段通りにとっ散らかった自由なnoteを書いていきます。


文フリばっかり言ってる私も、なんかイヤなんでちょうどよく、気持ちにフィットしたものだけ読みにきていただけたら幸いです😊

お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。