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私がゆきちゃんだった頃


小学校3年生の時に、少女野球チームに加入した。


私が通う小学校には、男子の野球チームだけでなく


女の子だけの軟式野球のスポーツ少年団が存在したのだ。


運動が得意ではない私が、そのチームに入りたいと自ら志願したのは、ひとえに友達が一緒にやろうと誘ってくれた以外に、理由が見当たらない。


監督はモジャッとした頭のおじさんで


コーチは加入しているメンバーのお父さん達が務めていた。


はじめてのグローブを買ってもらった時、胸が躍った。


はめて、パチパチと右手の手の甲をグローブに


うちつける。皮のしっとりとした質感と硬さ。


独特の匂い。グローブをはめただけですでに


何かを手にしたような気持ちになった。


加入してすぐは、コロコロ転がされた球を


取っては投げ、置いてあるボールを打つような


練習をした。


そのはじまりから、すでに上手い下手の格差は


ちらつき、自分は1番下手だ。と気づいていた。


近所の仲良しのウッチャンと、毎朝6時に起きて


自転車で学校に行きキャッチボールをした。


ウッチャンは、私と違い1番野球が上手だった。


ピッチャー候補として、ピッチングもしていたし


バッターボックスに入れば、難なくきた球を


打ち返す。


1番上手なウッチャンと1番下手なわたし。


毎朝毎朝、ウッチャンは朝練に付き合ってくれた。


7時に学校近くの公園裏の駄菓子屋が開店する。


そこで、カニパンを買って一つずつ食べて


うちに帰り、学校の支度をして登校する。


カニパンの日はたまのご褒美で、ブランコに


揺られながら、2人でケラケラとお喋りして


むしゃむしゃ食べた。


朝の冷たい空気に、鼻が凍りそうな日も


自転車でウッチャンの家に向かう坂道を


しゃーっとくだる爽快感をいまだに覚えている。


ウッチャンは上手くなるために朝練をしていたかもしれないが、


私はウッチャンと朝練をしたくて朝練をしていた。


月日を重ねて、毎週日曜日の練習は、多くは

練習試合になり、時々は大会になった。


私は常にライトの8番だった。


野球をする人ならお分かりだろうが


らいぱちくんと呼ばれる立ち位置だった。


チームで試合に出る9人の中で、


1番期待されていないとそう人に知らしめられているポジションだ。


もちろん、今はそれが、全てではない。

いろんな戦術や物の見方が、豊かな時代だ。


有望で隠し兵器な、らいぱちくんはあちらこちらにいるだろう。


私は、試合が大嫌いだった。


守備につけば、球がきませんようにと願い、


打席に立てば、どうかストライクが来ませんようにと願う。


ファーボールとデッドボールは、ラッキーでウホウホしていた。


盗塁なんてもってのほかだし、三振はお手のもの。


なぜに、野球をしているのか。何が楽しいのか?


人はそう思うだろう。


私はキャッチボールが好きだった。


ノックも嫌いじゃない。


練習は好きだった。


バッティングセンターにも通った。


バッティングセンターでは打てるのに


人が投げる球は一つもバットに当たらない。


3年生から6年生まで、試合でヒットはいっぽんも


打てなかった。


6年生の時、日曜日になるとお腹が痛くなるようになった。


それは、決まって試合の日で、それでも我慢して


行っていたが、ある日とうとう布団から出られなかった。


一度休んだら、何かがプツリと切れた。


頑張っても頑張っても結果が出ないことに


心底悲しくなってしまっていた。


野球のユニフォームを見るのも着るのも


ただの苦痛でしかなく、


自分でやりたいと言って始めたから意地でも言うまいと思っていた、あの一言を両親に伝える葛藤は凄まじいものだった。


辞めたい。野球を辞めたい。絞り出した言葉に
両親は反対しなかった。


ただひとり。


反対して慰留した人がいた。


それは巨人の有名選手と同じ苗字をもつコーチだった。


一本打って、それからにしないか。


私に試合でいっぽんヒットを打たせてあげたい。


そう言ってくれた。


その熱意を振り切るようなことは出来ず


私はまたずるずると野球の練習に行った。


Sコーチは、朝練にも付き合ってくれた。


通常の練習の後、居残りもしたし


本当に根気よく私のバッティングに付き合ってくれた。


他の友達もみな応援してくれた。


ウッチャンもいつもそばで見ていてくれた。


思い返せば、私を誰も責めなかった。


一回も打てないことを責めていたのは私自身だ。


6年生の終わりに差し掛かる、練習試合。


私はいつものらいぱちくんで出場していた。


あの日、ストライクがくるといいなと思った。


ボールが手から離れて、こちらに向かう軌道を


しっかり見た。


まんなか、たかめ、ストレート。


私の一振りは、セカンドの頭を超えた。


一塁まで全力で走った。


はじめてのヒット。最初で最後のヒット。


一塁で振り返り見たベンチでSコーチは


手を叩いて喜んでいた。みんなもただの


シングルヒットにジャンプしていた。


この試合の後、私は野球を辞めた。


もう少しで退団式で、盛大なお別れ会もあるのに。

仲良しのみんなの優しさにも

Sコーチの言葉にも

私は頷かずに、一足先に卒団した。


Sコーチは、その後ほどなくして亡くなられた。


まだ若く、私と変わらない歳のお子さんもいた。


進行性の大病を抱えていらしたことを、


お葬式で聞いた。


私はまだ子供だったから、いろんな事情はわからなかったけれど


私のような出来損ないに、命の時間を傾けて


くれたことだけはわかった。


ボールをよく見て。

タイミングが大事だよ。

しっかり振り切る。

最後までボールから目を離しちゃだめ。



私が嫁いで、20代後半の頃


村のソフトボールチームに誘われて参加していた


時期がある。


キャッチボールも、セカンドの守備も


上手だ、大型新人だと持ち上げられた。


打つ方はやっぱりそんな上手くはなかったけれど


サードゴロがヒットになるのが


ママさんソフトの醍醐味で、楽しく取り組むことができた。


小学生の頃の私にありがとうと


何度もお礼を言った。


そしてSコーチにも。


私はバットにボールが当たるたびに


Sコーチを思い出す。


諦めなければできるぞと言い、


本当にそうだと教えてくれた。


ながしまひろみさんの漫画


やさしくつよくおもしろくには、


野球をする少女、ゆきちゃんが出てきます。


今日は、私がゆきちゃんだった頃。


私が私を諦めない土台を作ってくれた


沢山の出会いに感謝を綴るnoteです。


#ながしまひろみさん
#野球の思い出
#8番



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