「気持ちの悪い人」を嗤っていませんか?性暴力における「加害性」と「被害者像」にどう向き合うか

遅くなりましたが昨年クリスマス前。毎日新聞に暗器使いさんとの対談が掲載されました。この記事は6月のもので主に刑法改正後の実感についての話なのですが、性暴力の記事を載せるのはハードルが高かったようで、ずっと粘り強く交渉してくださったおかげでなんとかネット限定の有料記事になりました。

記者のこだわり:性暴力をなくすには 「魂の殺人」被害の男女が語る - 毎日新聞

暗器使いさんとは今年から勉強会を一緒に運営させていただいているのですが、きれいごとでない話ができることが本当に助かっています。

私は清廉潔白な被害者像を求められることがとても多くて、暗器使いさんは「恨みを話すことを咎められる」「前向きな当事者以外が声を出すことを否定される」といいます。
一見正反対な立場ですが、問題は地続きで、被害者像の押し付けや、誰もが持つはずの加害性に無自覚なことによるものだと思っています。

私は、性被害も含め、被害者や生きづらい人間は「気持ち悪い存在にならざるを得ない」ということが頭から抜けている人が多いことが私はいつもすごく気になるのです。精神疾患を抱えてコミュニケーションがうまく取れなくなったり、フラッシュバック等で不審な行動を取ってしまうことがあります。

被害の経験を聞いて「かわいそう」「よく生きててくれた」「許せない」という人はたくさんいます。でも、「あなたはうまく話せない人や様子のおかしい人を「気持ち悪い」と笑ったりしていないでしょうか?」と問いたくなります。

もしかしたらその「気持ちの悪い人」こそが、被害者かもしれません。その視点を持って一度立ち止まってほしいといつも思います。

「助けてあげたくなる被害者像」に当てはまることをずっと私は求められ、抵抗してきました。
「助けてあげる」話ばかりクローズアップされるけれど、「もしかしたら自分も誰かを追い詰めるかもしれない」という意識が抜けてしまっている気がします。自分の加害性に無自覚で、だからこそ、何らかの加害があったとき、「そんなおかしいやつがいる」と個人を非難するのみで他人事になってしまう。

もちろん被害者が加害性を持ったとしても責任は存在します。加害性のある人を我慢して許容しろという話ではありません。でもそれをただ、「病院に行け!」では解決もしないのです。安易な解決策で自己責任にせずに、どうやって解決するのか。基本的には建設的な改善策を考えたいけれど、やはり現状を見る必要はあって、前向きなだけでは見えない答えがあると思っています。

そういうお話の一歩として対談させていただきました。今後も暗器使いさんとのお話はなんらか発信していきたいと思っています。様々な「加害性」に向き合うことが、性被害の問題を改善するには必要なはずです。

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