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だからキミには決めつけてほしくなかった

大人になっているなぁと感じる。
落ち着いてきたとか、体の衰えに敏感になってきたとかそういうことではなく、どうにか理由をつけて限界を見つけようとするようになったことだ。

子どものころ熱狂した『シャーマンキング』を思い出す。
いわゆる少年誌のバトルジャンルであるのだけれど、トーナメントの手法も用いて、物語が盛り上がってきたタイミングで、正攻法では目標を達成できないと主人公が言い放つ。

それだけ相手が強大(兄弟/ハオ)ではあるのだけど、多くのマンガはこの状況を覆しどうにか勝ってしまう。当時、驚いたのはシャーマンキングは勝てないことを認めて「勝たない」という選択肢をとったことだった。

「大人」になると

「(戦って)強い」という点において、早々に結論を出してから、マンガとしての主訴は「強さとは何か」に移行していく。
「強い」ということが生み出してきたモノはなにか、「強い」ことに立ち向かうための「別の強さ」について語られる。

繰り返し表現されるテーマは「すべては想いひとつ」ということ。
願うこと、諦めないこと、向き合うこと、理解すること。
イメージを具体化すること。

「なんとかなる」
そういう想いの「強さ」が大切なのだと。

大人になると、そういう部分が薄れてくる。
「限界」を決め、自分の輪郭を決めようとする。

中庸は現実の前に無力なんだよ

最近、結婚したり仕事でも役職ついたりと自分の輪郭を作る機会が多かったせいか、自分が「何者であるか」を絞り込むようになってきた。

それが悪いとは思っていない。
必要なことであるし、必ずしも息苦しいことでもない。

ただ「ここまではできる(やる)」と決めを作って行動してしまっているようにも思う。事なかれではないけれど、波風が立たない範囲を作って、その中で動いてしまっている。

前はもっといろんなものに疑問や悩み、迷いをもっていたように思うのだけれど。

まだちょっと「大人」になるには早いと思う。
10年後も同じことをいっているような気もするけれど、作中に「大人」として出てくる彼らと近い歳になったらまた考え方も変わるかもしれない。

蛇足

結果的に「勝たない」選択がどんなラストを迎えたのか知らない人が多い。最終盤に打ち切りになってしまったからだ。

むしろ打ち切り時のラストカット(上)が衝撃的で作品の代名詞になってしまった。それゆえ完全版に収録された約400ページの追記を読んでいる人は少ないように思う。

講談社から再出版された完全版まで収録されたシリーズとしてぜひ一読していただければと思う。


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