見出し画像

思い込んでいる。

たくさんのことを「そうである」と勝手に決めて生きている。
思い込みは枠を作って、自分を囲い込んで、たくさんの見えない存在を作り出す。

NPOという場でたくさんの枠の外に置かれた存在と出会った。
被災者、限界集落に暮らす人たち、ひきこもり、少年院を経験した若者...
おおよそ、都市部で暮らして、大学を卒業して、働いて。そんなふうに暮らしてきたら、目の前に現れない人たちばかりだったと思う。

ジブリの映画監督の宮崎駿は、自作の”トトロ”を60回観たという手紙をもらったエピソードに「そんなに観るんじゃないよ。1年に1回くらいアニメーションをみて、何だったんだろうあれ?という経験の方が良いんじゃないか」とコメントした。

基礎がトトロでは困る。
そのアニメーションを作る自己の矛盾性にも触れながら、トトロにはリアルがないこと、きれいな世界だけで学ぶことの危うさを訴えた。

解剖学の養老孟司先生とアンドロイド研究の石黒浩先生、そして漫画家の武井宏之先生も異なる分野からそれを伝えている

養老先生は「私は私」という精神と身体性の異なりについて触れていた。
心の中では何年たっても「私は私」だけれども、その身体を作る細胞は7年も経つとすべて入れ替わってしまうという。
僕たちは「自分は変わらない」と思い込んでいるけれど、そんなことはない。意図しないうちにどんどん変わっている。

石黒先生も自分そっくりのアンドロイドを作り実践を通じた研究をするうち「自分のことは自分が一番わかっている」という思い込みに触れています。
きっと、自分のことを知っているのは自分ではなくて周りにいる人であるということ。そして、多くの人は社会の中にあるさまざまな枠にはまって自分を定義されていることに触れている。

武井先生はマンガ『シャーマンキング』を通じて、ほんの少しの違いで枠外に置かれたキャラクターたちを描いた。霊が見えるという理解されにくいスキルやアイヌなどの虐げられてきた民族、迫害されてきた魔女たち。
ストーリーが進むにつれ、自己の可能性と思い込みに気づいていく。

こんなにも多くの分野で「思い込み」の抱えているリスクに触れているのに、自分が今いる世界観以上を想像できないでいる。

なにかご関心をお持ちいただけましたらご支援お願いします。文章書いてよかった、誰かの支えになれたと励みになります。