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あの日わたしは、旅人になった

しんどかった。
どうにでもなってしまえって思っていた。わたしの代わりなんていくらでもいる。
わたしがいなくなったところで、会社も、そして社会も、何にも困りはしない。


朝が起きられなくなった。目は覚めているのに、気分が悪くて起き上がることができない。会社に行く、ただそれだけのことなのに、自分の身体は鉛のように重くて動けない。「あぁ、だめだ」そう思って会社に休みの連絡を入れる。そんな日が時間が経つにつれて増えていき、気が付けば出社している日数と、休んでいる日数と、どちらが多いのか分からないような状況になった。

わたしの心は、荒んでいた。何をやってもできない。どんなに頑張っても成果が出ない。わたしよりも出来る人なんてもっとたくさんいるし、わたしなんて別にここにいなくてもいい。もう、消えてなくなってしまいたい。

会社を休職してしばらく休養することになったわたしは、ずっとずっと、一人家で引きこもった。布団から出ず、カーテンも開けず、今が昼なのか夜なのかもよくわからない。みんながキラキラしているようなSNSなんて見れなかったし、ましてやそんなところに自分が何かを投稿することなんてできなかった。会社を休職しているヤツが、SNSで何かを発信するなんて、そんなおこがましいことはできなかった。

外出するのは、近所のスーパーのみ。のそのそと起き上がって、生命を維持するために必要な食糧を、必要な分だけ買って帰る。まるで、廃人のような生活。

そんなわたしを見かねたのか、心配したのか、彼氏がわたしに提案してきた。


「せっかくの休みなんやから、どっか行って来たらええやん。ひとり旅とかさ」


あぁ、ひとり旅か。そういえば実家を出て上京してきた時からずっと、ひとり旅に行きたいなって言っておきながら、口だけだったなってことを思い出した。

うん、行ってやるか、ひとり旅。そろそろ口だけは卒業するために、サクッとどこかに行ってみるか。平日だと人も少ないだろうし。

それに、今のこの状況から、抜け出したいし。


布団にもぐりながら、宿を取った。行先は、仙台に決めた。行ったことのなかった東北に行ってみたいって思った。

出発は、来週。思い立ったら気持ちが変わる前に、行ってしまわないといけない気がした。


お気に入りのマンハッタンポーテージのリュックに荷物をつめる。初めてのひとり旅。未踏の地東北。土地勘もないし、ゲストハウスにだって慣れていない。

それでも、なんだかわくわくした。

今の状況から、ほんの少しだけ抜け出せるような気がした。


***


夜行バスで早朝に到着した仙台駅。
電車移動も一人。現地を観光するのも一人。少しの寂しさと、不安と、何が待ち構えているのかという大きな期待と。

そのままの足でまず向かったのは、日本三景松島。一人で島を歩くわたしに、地元のおじいさんが声をかけてくれた。松島にはこんなに良い景色があるんだということ、そんな景色が東日本大震災で失われてしまったこと、今見るならここに行くのがオススメなのだということ、東北をどうか楽しんでいってほしいということ。たくさん、たくさん教えてもらった。

宿泊先の仙台のゲストハウスでは、初対面の人たちと食卓を囲んで、みんなで一緒にご飯を食べた。夜が更けるまで、食べて、飲んで、騒いだ。消灯時間が過ぎてから、みんなでゲストハウスを抜け出して、夜の仙台を飲み歩いた。

ゲストハウスで仲良くなった女の子と、一緒に仙台の街を観光した。展望台に上って、雨で何も見えないねって笑い合ったり、行きたかったずんだ餅屋さんがなかなか見つからなくて2人で何十分も仙台の駅前を行ったり来たりした。やっとのことでたどり着いたお店で食べたずんだ餅が、あんまりおいしくなくて拍子抜けした。


そこは、年齢も、職業も、国籍も、何も関係ない場所だった。

ただ今ここにいるわたしと、目の前にいるあなたと、一緒にいる彼と彼女と、その「今ここ」が大切だった。今、この瞬間を、どうやって楽しく生きていられるか、それが重要だった。

こんなに純粋に楽しいって思ったのはいつぶりだろう。こんなにも人の前で気を遣わずに笑えたのは、いつぶりだろう。こんなに心が軽くなったのは、いつぶりなんだろう。

「わたしなんて消えてなくなってしまいたい」

つい数日前までそんな風に思っていたのが嘘のように、そんな気持ちはキレイになくなっていた。


わたしには、まだ行ったことのない場所がたくさんある。見たことのない景色も、食べたことのない食べ物も、聞いたことのない音楽も、出会ったことのない人も、たくさん、たくさん。


もっと、色んな世界を見たいと思った。

もっと、色んなところに行きたいと思った。




あの日、初めての仙台で、わたしは旅人になった。




***


その後、無事に復職して、また会社員に戻った。でも、どうしてもあの旅が忘れられなかったわたしは、週末を利用して旅に出るようになった。
カメラをぶら下げてはじめましての景色を切り取りながら、日本全国の色んなゲストハウスを回った。時には1週間かけて東北を一周してみたり、連休を使って四国を一周してみたり。

旅に出る度に、元気をもらった。ちゃんと前を向けるようになった。

ちゃんと地面を踏みしめて、自分の足でしっかり歩こうと思えるようになった。



だからわたしはこれからも、きっと旅に出るだろう。


だって、見たことのない景色がまだまだあるから。





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