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文章は、自己肯定ツールなのかもしれない

どこに何を書くか、みたいなのが知らず知らずのうちに自分の中に出来上がっていることに気付いた。

今朝モーニングページを書きながら思ったのは「あ、この文章めっちゃnoteっぽいな」だった。

特に何か意識していたわけではないのだけど"noteに書くときにはこういう文章"みたいなのが、たぶんあって。だから、何気なく書いたモーニングページを読んでみて、「こういうこと、わたしnoteに書いてそうだなぁ」なんて客観的に思ってしまった。

どれも全部わたしが書いているには変わりないのだけど、何も違わないのだけど、やっぱり何をどこに書くのかによって、自分の文章の雰囲気って結構変わるんだなぁって思う。

noteに書く文章と、自分にしか見えないモーニングページに書く文章が違うように。Twitterに書くのと、Instagramに書くのではまた違う。TwitterもInstagramも複数アカウントを持っているから、それぞれまた違うし、これがFacebookでリアルの知人に向けて書くのだとまた別物。外部のメディアに寄稿するときと、社内のプレゼンの資料だとまた違うし、やっぱり生み出すのは全部自分であったとしても、ちゃんと色んなところで使い分けているんだなぁって改めて気がついた。

まぁ、当たり前っちゃ当たり前なんだけど。自分がプライベートで好き勝手書いている文章と、仕事で使うプレゼン資料が、同じようなテンションで書かれていたらそれはそれで問題だからね。

でも、そのプライベートで書く文章でも、どの媒体に載せるものなのか、果たして載せないものなのかによって全然書くスタンスが違うんだなぁと思って。その気づきが、自分の中で割と新鮮だった。


こうして毎日なにかを書いていると、どんなときでも新たな気づきというか、今まで気にもとめていなかったことに気がつくようになる。それってすごく良いことだなと思っていて。


この3連休、どこにも行かず、何もせず、予定もない本当のお休みだった。家から一歩も外に出ず、ずっと家の中でゆっくりまったり過ごしていたのだけど、こういう過ごし方をした日って、きっと後から振り返ってみたときに何の記憶にも残らない1日になってしまうんだろうなって思っている。
今まではそういうのがすごくもったいない気がして、時間を無駄にしている気がして。むしろ限りある人生の貴重な一瞬を浪費しているような気分にすらなって、耐えられなかった。
でも、今はそういう日だって長い目で見れば自分にとっては大切な休息日なのだし、何せこうして毎日noteもモーニングページも書いているわけだから、決して忘れて去ってしまうような1日にはならない。その日考えたこととか、行動したこととかが、ちゃんと自分の文章としてこうして残っている。

そう思うと、文章って、自分にとっての自己肯定ツールなのかもしれないなぁ。


とても良い休日でした。



今日もおつかれさまでした。





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