演劇

演劇という手間のかかる趣味について


演劇。それは生身の人間が作り出す一瞬の芸術である。観客と役者の間にカメラもディスプレイもない。その一瞬を私は趣味にしている。


演劇はとにかく時間のかかる趣味である。

プロフェッショナル仕事の流儀で、ヒカキンが6時間かけて6−7分間の動画を作成したことが話題になった。

私の関わった演劇は、4ヶ月かけて60分の舞台を作り上げた。上演するのは1日。たった1日のために4ヶ月を費やすのだ。

お金をかけて時短をするなんて裏技は一切できない。(セリフをその日に覚えるアプリがあるなら教えてほしい)公演というその日に向けてじっくりと向き合っていく。

その4ヶ月も社会人にとっては貴重な時間である。仕事の都合で稽古日に欠席することもザラだ。仕事で疲れていても、重い体を引きずって練習にやってくる役者も少なくない。


公演までの4ヶ月は、役者にとって苦悩の日々になる。

貴重な休日を稽古にぶち込む。セリフが入らなくて何度もうなだれる。キャラクター像がわからなくて台本とにらめっこ。さびついた感情の引き出しをガタガタこじ開けて何度も動く。

揃えたはずの小道具が見つからない。キャラクターにピッタリの衣装を探してクローゼットをひっくり返す。やっと動けてきたのにセリフが出てこなくなる。おまけに熱まで出す。

てんやわんやの中でどうにか舞台を作り込むのだ。


また、人手がいるのも演劇という趣味の特徴である。ブログやYou Tubeはひとりでもできるが、演劇は厄介なことに沢山の人が関わらないと作り出すことができない。

登場人物の人数だけの役者、演出家、舞台監督、音響、照明、会場スタッフ。そしてわすれてならないのが観客。

例え優秀な役者の集まる劇団四季でも、空のホールでの上演は虚しいものになるだろう。演劇は人に見てもらってはじめて成立する芸術なのである。

観客席を空にしないために、舞台関係者はとにかく宣伝をする。学生時代の友人、家族への声かけやSNSの投稿。他の劇団との合同劇という手段もある。とにかくひとりでも多く集めて、観客と一緒に演劇を作っていく。


そこまでの時間を手間をかけて、舞台の幕は開く。ちょっとつっかえても、セリフを飛ばしても中断できない。狙ってない笑いが観客から起きることもある。ドキドキを隠しながらも、時間はジェットコースターのように過ぎていく。エンディングの間際、もうこの劇が終わる。もう、このメンバーで集まることはない。涙が出そうになるけどぐっとガマン。

ここで私のキャラクターは泣かない。


舞台の幕が降りて、カーテンコールに応えるために整列。再び幕が上がれば観客からの拍手のシャワー。キャラクターをやっと下ろせる。そしたらホールの外に出て客出しだ。

知り合いから感想を聞き、ときにはダメ出しを聞き、もっと話していたいけどホールの片付けに入る。

大道具や荷物を運び出し、目印をはがせばホールはしんと静まり返る。さっきまでの熱はすっかり消えてしまった。


あっという間の60分。それにかけた時間4ヶ月。なんと手間のかかる趣味だろう。自分たちは劇を観られないというのに。

それでも、ホールを後にする時はこう言ってしまうのだ。

「またやりたいね。」




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