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作品について_2

・杉の木の寄木で漆器を作るようになったきっかけを教えていただけますか?

ホームページプロフィール欄に記載していることが最も簡潔な理由です。
https://ayamorishitawoodwork.mystrikingly.com/#_5

下記、もう少し細かく記載させていただきます。
東京生まれ、東京育ち、両親も東京かつ、両親の祖父母もみんな東京で、
夏休みに田舎に帰省するということを知らず、
小さい時には学校の遠足や両親と海に行くくらいしか自然と触れ合う機会がありませんでした。
19歳の時になぜボランティアアルバイトで乳牛の牧場に行ったかというのも、
農業系のRPGゲームに小学校の時にハマっていたからです。
実際の現場で牛にもそれぞれ性格があり、顔が違い、体格が違い、悲しい思いや、嫌な思いや、甘えてきたりしたりと、
人間と全然変わらなかったことに初めて直接触れたことで頭打ちにあい、
大学でのものづくりに向けて真剣に考えるようになりました。


*木の種類について
当時私が通っていた頃の武蔵美の木工の授業では、教授から、何を作るかより、
何で作るかを大事に考える傾向にありました。
木を使って日本で物を作ることを考えたときに、
何を作るにしても今使うべきと言われている杉や檜材を使いたいと思いました。
中でも杉を選んだのは、杉の方が量が多かったことと、あまり上等な材料として扱われていない節を感じたこと、
日本のどこでも生育していること、また地域によって素材の個性が全く異なることが理由です。
後に知りましたが、杉の学名である「Cryptomeria japonica(日本の隠れた財産)」も感慨深いところがあります。
ただ今ではすっかり杉の個性にハマっているのできっかけは上記ですが、
好んで杉だけを使っています。


*寄木について
私の寄木の方法は正方形を年輪方向(木口)を上にして、たがい違いにして並べています。
自然に生えた状況で器を作りたかったことと、自然でない木目を表現したかったためです。
自然でない木目を表現したかったのは、それが私にとっての身近な自然であったからです。
私が遠足で訪れていた高尾山も人工林でした。
私が身近に感じていた自然は天然の自然でなかったことを大学のものづくりを通して強く感じ、
それをそのまま表現したのが、現在の寄木のスタイルです。
また寄木にすることで、人の考える木の価値(ブランド)を感じさせないものにしたかったです。
(例えば、吉野杉や秋田杉など。ブランドになっていない材料も同様に使用したかったです)
どの地域の材料もそれぞれの表情で、それはそれでいい。といったものを作りたかったためです。
寄せ方の模様としては縦横に走った木目と斜めに木目が走ったパーツを組み合わせた2種類があります。
斜めの文様は自然でない年輪が無限に続いていくような文様を表現し、
縦横の文様は私の両親の職業が服飾関係なため、私にも「綾」という綾織からくる名前をつけたことへの感謝として
織物のような縦横を紡ぐ文様にしてあります。


*器について
形をなぜ器にしたのか。
生きていくために毎日必要である食事に必要なものであるということと、
形に自由度が高いこと、盛りつけたり、運んだり、洗ったりとたくさんの触る機会、関わる機会があることです。
食事は、その食べ物が口に入るまでに、とてつもなく多くの人が関わっています。
生産者さまに始まり、料理をする人、食事をする人など、状況によってはさらに多くの人が関わります。
この工程を直に知るために、卒業後は畑や、レストランで働いておりました。
人工林にしてしまった森は、天然と違って、畑のようにちゃんとずっと関わっていかなければなりません。
多くの人が関わり、命を繋いでいくという素晴らしい食環境の中の末端を担う
器を作り、使っていただくことで、これを自然と生活の中でやっていく。
そんなことができたらいいと思い、器の形で作っています。
食事は楽しいこと、というのも大きな理由です。


*漆について
人工林になってしまった森には漆の木がなくなってしまいました。
昔の物語などには漆の木が本当によく出てきて、最近のものですと、
高畑勲監督の最後の作品である「かぐや姫の物語」などにも
ちょっと森に入っただけで漆にかぶれるから気をつけろといった描写がありました。
そのくらい多く生えていた物でした。
全国でまた漆の木が生える森になっていったらいいなと思い、塗っています。
上記も理由のうちの一つですが、最も大きな理由は天然で最強の塗装であるからです。


写真提供:オキーフファニチャー様(静岡県藤枝市のギャラリー)

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