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人間は記憶のかたまり。だから「本当にはじめての....」が美しい。

私の仕事はトレーナーだ。着る方ではなくて動く方。

 私の働くas・i・am/aparmtntというアパートでは、10月11月限定で「本当にはじめての人のための筋トレ」企画を行っている。正直言って、はじめは新規のお客様中心の企画になるのだろうと思っていた。入会金フリーという超お得な特典もつけた。しかし、実際やってみて私が感じたこと、そしてちょいちょい既存のお客様からもお問い合わせいただくので今日はこのお話を。

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 実は.....最近、私が通うダンススタジオでよくこの「本当にはじめての人のための」というクラスが特設されていて........存在も響きもいいなと思っていた。

♬本当にはじめての人のためのヒップホップ

♬本当にはじめての人のためのロックダンス

♬本当にはじめての人のためのアフロワック


とかね。

そうなんだ。ダンスを習っていると「初心者クラス」って書いてあるのをピュアに信じて参加して、だまされた!と、思うことがたまにある。

まあ、仕方のないことだ。

人は成長する。レギュラーの生徒さんたちも半年もたてば、どんどんうまくなってくる。

 私が信望している Yacheemi先生が、ある日「本当のはじめての人のためのレゲエ」クラスを担当した。そのスタジオではレゲエダンスがなかった。レゲエダンスって言うのか? ダンスホールレゲエ? とにかくレゲエのダンスがなかった。本当にはじめてのレゲエダンス.....

 実は、私はまあまあレゲエミュージック愛好家で........どれくらい長い付き合いかというと、はじめてのレゲエ音楽との出会いは、いきなりジャマイカだった。もう25年前だから失神しそう。女子三人旅だったので、首都のキングストンには絶対行っちゃダメだとジャマイカ政府観光局だか大使館の方に口を酸っぱくして言われ、ネグリルという田舎に行った。そこでは、町の至るところにある空き地とか駐車場みたいなところで、毎晩、青空&星空の下のライブが行われていた。ビール瓶のケースの箱みたいなものをひっくり返してステージにして、演奏したり歌をうたったりしていたような記憶。素朴。まったくレゲエをよくわかっていなかった私の耳をぱ〜んと貫いた歌声があった。それがこちらSANCHEZだ。思わずとことこと歩いて「歌うまいね」って言いに行ってしまった。が、今思えば、当時もそこそこスターであっただろうに謎のアジアンガール(当時)にそんなこと言われたくなかろうに。だって....ビール瓶の箱ひっくり返してその上で近所のお兄さんみたいに歌ってるんですもの....

その10年後。ふたたびレゲエ熱が再熱したのは、まあまあ大人になってから。ロンドンのブリクストンという(当時は)けっこう危ないエリアまで、アビシニアンズという、もうレジェンドを超えて化石のおじいちゃんみたいなラスタファリアンのライブに行った。いや、本当のこというと、ロンドン出張に便乗だ。ごめんなさい。そこにはアジア人は私たち以外いなくて、白人だってドレッドのいっちゃってそうな人一人くらいしかいなくて、英語も通じなくて(パトワ語なんでしょう、きっとあれは)、煙に包まれまくって、旗を無心にゆらゆら振りまくってる人に囲まれて、観客たちもヘッドラップの民族衣装で.....私の人生の中でのけっこう衝撃のライブとなった。

と、話はそれまくったが、レゲエダンスクラスに参加した。

音楽を聴くことと踊ることは全然違うしね。

そしてその結果、めちゃめちゃ楽しかった。

参加している人たちも、母娘?母息子?がいたり、中学生がいたり、全身タイダイのスパッツ&Tシャツのお姉さんがいたり。多国籍軍みたいで、みんな自由で、ハッピーだった。

先生にカリビアンミュージックのルーツのお話、それぞれのステップにだいたい名前がついているんだよという基礎的な話をうかがったり、リズムを紹介してもらったりして、まさにBack to Basic.

いや......逆に....私はレゲエのことなんて、雰囲気だけで深くは何も知らないんだなっ再確認できた。

そして何よりもフレッシュな気持ちになった。

カラダをを動かすということ、また何かを学んだり吸収するということは、このフレッシュ感が要だ。水の中で手でぎゅっと握りしめたスポンジを、何かのタイミングでぐっと緩めた瞬間みたいに、....ぐんぐん水を、新しい世界を吸収したいんだ。

ふと思うのは....

人間は、言い換えると “記憶のかたまり”だ。

経験値があがるということは、記憶のかたまりが大きくなっていくこと。

カラダは年齢や環境とともにどんどん変わっていくのに、記憶のかたまりが大きくなって、常に頭の中で自分の過去と照らし合わせて、ああじゃないこうじゃないってジャッジして、目の前に起こっているすばらしい真実を享受できなくなっている。

せつない。

「本当にはじめての」経験は、ものすごく尊いのだ。

だからこそ、経験値があがってもそれができるようになるように、毎日一度死んでしまおうと思った。もちろん比喩だ。寝るとは死ぬこと=リセットすることなのではないかなと思った。寝て起きたら私は、生まれ変わっているの。

そう思って過ごしていたら.....なんだか幸福度があがった気がする。

究極は.....本当にはじめてなんかはどうでもよくて、いつでもはじめて会ったように、はじめて踊るように、はじめて聴くように....外の世界と関わりたい。

ということで、今日も死、いや、寝ます。おやすみ。

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