一悶着

もともと朝が弱いのに、仕事についたおかげで早起きになってしまった。そしてそれは休みの日も、今もである。夫氏が起きるまでコーヒーを飲みつつボーっとする30分のあいだ、寝床へ向かうハムスターを眺めていることが多い。

母が亡くなって二日目の朝はいつもどおりだ。昨日だってそうだ。昨夜は大変だったなあと振り返りつつ、ふだんと変わらぬ朝を迎えた。
母が亡くなった当日の夜は爆睡、そして昨日も爆睡。昨日は葬儀屋さんと打ち合わせし、火葬の日程を決め、それを親戚に伝えていたのだが、やっぱり一悶着あった。

母と母の実家の関係は、悪くもないが良くもないと思っていた。というのは、私が子どもの頃に母と母の弟との諍いこそあったけれど、その弟が病を得て入院したあと、母がかいがいしく世話をしていたから、関係が良くなったと思っていたのだ。しかし、その弟の子どもは誤った認識を持っていたようで、我が母に強い恨みを抱いていて、その怒りをぶつけられてしまった。

母の弟の息子、つまり従兄弟だ。その従兄弟が言うには、自分たちが苦労したのは我が母のせいだという。祖父母のもとから金を奪い、その後自分たちが家を出され、自分自身も学校でいじめに遭い……と、私が認識している「過去」とは真逆の話を聞かされた。

まず母は祖父母から金を奪ってなどいないし、弟夫婦を実家から追い出す手助けなどしていない。というより、弟夫婦が祖父母とケンカし家を出たのだ。このとき私はすでに社会人になっていたし、母が親類たちと話をしているのを遠巻きに見ていたので、この事実は事実であると自信を持って言える。が、私に強い怒りをぶつけた従兄弟殿は、自分たちが家を出た当時まだ中学生だったのに、まるで全てを知っているように話していた。

誰が従兄弟殿に誤った過去をすり込んだのか、大体の見当はつく。従兄弟の父親である母の弟と同じく、良く言えば近しい人と信じて疑わないが、悪く言えば単純でだまされやすいので、恨み言ばかりを繰り返す従兄弟を憐れに思った。

ことの真実は、従兄弟の母が死んだあとに知ることになるだろう。親戚というものは、相手が生きているうちは影でしかものを言わないが、死んだ後にそれまで積もりに積もったものをはきだすように、いろいろな事実を口にする。これは祖父や祖母が亡くなったあとに起きたさまざまな出来事から学んだことでもある。

母は曲がったことが大嫌いな人であった。そのせいで苦労したし、涙を流していたのを子どもである私は良く知っている。従兄弟との一件を、違う従兄弟の奥さんに話したところ、彼女も全てを知っているからこそ、怒りを通りこし呆れていたようだ。もしも従兄弟の話が真実ならば、母は一族から絶縁されてもおかしくない。だが本家の人間と付き合いはずっとずっとあったし、何より母は重い病を得てしまった弟の世話をすべく、毎日病院に通っていたのだ。

祖父が亡くなったのは私が20才のときだったが、祖母が死んだのはたしか30を越えた後だ。夫氏と二人で仕事先から実家に向かい通夜に参列した際、この時初めて私の夫を見た親戚一同からは歓迎を受けたのを覚えている。もしも従兄弟の話が事実なら、こういうことはあり得ないはずだし、従兄弟がすり込まれた過去との整合性がとれないのは明らかだ。

もともと母の実家との縁は薄い、というかないものと私は思っていたし、親戚との関わりもほぼ知らないまま大人になってしまった。しかし結婚した夫の親類は、我が母の親類とまったく異なっていた。だから、家族付き合い・親戚付き合いというものを、私は夫の親類で学んでいるのだ。

夫氏の親類は、従兄弟であっても兄弟のような付き合いをしていた。そのなかで一番若い私を年の離れた妹のように接してくれているのが嬉しい。震災を乗り越え、ともに親の介護という問題を背負いながら、お互いのことを気遣い合う夫氏の親類たちには感謝しかない。それだけに母の一族のひどさが明確になる。

私の目から見えていた親類は、姉妹・兄弟といえど腹の探り合いばかりをしていた。いかに自分が損をせず、相手から利益を奪うことばかり算段していたような人間ばかりだった。従兄弟から延々感情をぶつけられつつ、これでやっとこの家と縁が切れると思った。繋がりこそないけれど、一応親戚だから親戚として認知していたが、母の死をもって関係を切れるのだ。うれしくないわけがない。

これでやっともろもろの「整理」がつけられる。そう思った。

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