「モテ」という価値観の呪縛
みなさんこんにちは、あやにーです。
先日、こんなツイートがバズっていました。
私はいつも、こうしたファッションに関する記事を雑誌やウェブで読むたびに
「どうして私たちは男性にウケるためのおしゃれを求められるのだろうか」ということでした。
正しく言うと「男ウケファッション」をメディアが推し、それに私たちは正解を求めてしまうんですよね。
そんな中、私はいつも思うことがあり、今日はnoteに書いていきたいと思います。
男ウケしないよ、と言われ続けたロリータ時代
私は小・中学生の頃にべティーズブルー、高校生になってヒステリックグラマー、オゾン、そして運命を変えてくれたBABY the stars Shine Brightに出会いました。
俗に言うロリータファッションに落ち着き、そこから26歳まではロリータファッションに身を包み生きてきました。
もちろんロリータでない服も着ていましたけど、それでもやっぱりロリータファッションはとても特別なものでした。
その時にいつも口酸っぱく周りから言われていたのは「男ウケしないよ」でした。
正直なところ「私は私のために服を選んで着ているけど、そんなにみんな男ウケを意識しているのか......」と思っていたし
誰しもがモテを意識して生きているということにも違和感を覚えていた。
雑誌を見ても、いろんなところで書かれている「モテ」
モテメイク、モテコーデ、モテコスメetc
知らないうちにいつでも男性にモテるような服装をスタンダードとすべし、というような感覚が染み付いているのかもしれない。
今回の記事においても「40代における大多数が良しとするファッション以外を取り上げたもの」だ。
大多数でないものはダサい、痛いという価値観はこうしたところから広がっているのではないか。
多様性が叫ばれる中で、他の人によって価値観を否定されたり
「それってモテないよ」と切り捨てられることは、一体何を生むんだろうか。
そもそも、女が全員モテたい、愛されたいと思っていると思ったら大きな勘違いではないのか。
女性の多くはモテたいよりも、好きな人に愛されたい
日本の女性の多くは、不特定多数にモテたいというよりも自分が好きだと思う人に愛されたいという欲を持っている人がほとんどだと思う。
男性にモテたい、ではなく正しくは自分が好きだと思う人に「愛される女性でありたい」ではないのか。
ここ数年、そうした「愛され女子」が注目をされてきたと思う。
それでも多くは、自分を愛して欲しい、と思っているはずだ。
どんなファッションであっても、中身は変わらない。
自分の好きな色、好きなデザインの服を着て、生き生きとした人や個性があることも、私は十分意味があると思う。
むしろとても良いフィルタリングになって、本当に自分の趣味嗜好が好きな人が集まってくる。
大多数の男性を喜ばせるためのファッションという、同調圧力の中でその大多数から外れた人を叩く文化は一体いつまで続くんだろう。
またそういうことを女性に植え付けるのは男性ではなく、多くの場合が女性だ。
モテを意識したコーデが好きな人もいれば、個性的なコーデが好きな人もいる。
基本的にこうした外見に関する問題に辛辣な意見を述べるのは女性が多い。
その根底には、女性の成功におけるヒエラルキーがあるように感じる。
美しくあるべき、年相応であるべき、という固定概念のもと上り詰めた人が下層ヒエラルキーにアドバイスをして差し上げるわ、というような
そんないやな雰囲気すら感じてしまう。
私たちは誰のためにおしゃれをするべきなのだろう。
趣味嗜好まで誰かに依存し続けるべきなのだろうか。
いい加減、この古い価値観を考え直すべきタイミングが来ているのだと思う。
「媚びない」ミレニアル世代から学ぶ
自分のためのファッション、生き方
実際に今私は30代だが年下の世代の彼女たちを見ると「モテ」「愛され」から少し距離があるように感じる。
どちらかというとキーワードは「媚びない」だし、自分自身のオリジナリティを持った子から成功を収めている。
みんなと同じというところを進化させていくことで評価を得ていくのが得意だ。
同じことをするのではなく、参考にしながら自己のスタイルを確立していく。
だからこそインスタグラムのハッシュタグ投稿は盛り上がって行くのだ。
何より「より良いもの」のアウトプットに抵抗がない。
そもそも今の30代が追ってきた価値観のモテ自体も彼女たちにとっては不要なものなのでは?とかさえ感じる。
モテることよりも「楽しんでいれば自然と好かれる」の流れが読めているんだと思う。
楽しい様子がアウトプットできるようになり、嗜好が多様化している中「男性に媚びるもの」がどんどん排他的に扱われているような
そんな側面があるように思うのだ。
この流れは年齢関係なく、実際とても大切な価値観なのではないか。
他人の評価を追い続け、男性から認められる「モテるファッション」でなくても
自分らしく、好きなものを貫き人生を輝かせる。
外見も中身も同時に輝くことで周りに人が集まる。当たり前のことなのに。
素直に私は「別に私はモテたくない」と言っていい世の中がいい。
不特定多数の大多数を満たすためのコーディネートではなく、自分らしく生きることで人生において「ファッションを楽しんでよかった」って瞬間が
日本でも私はもっともっと増えてもいいんじゃないかと思う。
年齢関係なく赤いルージュやマニキュアを塗ってもいいし
ママだってハイヒールを履いてもいいし、ロックTを着てもいい。
その人が心から好きだと思うファッションをどんどんできる世の中がいい。
もう女性のスタンダードはモテである、という考え方やめませんか?
私は365日モテたいわけではない。
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