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炎上とマーケティングと文化圏の多様化

TwitterでとあるYoutuberアーティストの炎上商法が話題になっている。
パワハラでありセクハラを受けたという女性がTwitterでLINEのやり取りを投稿。その数日後、実はそれは新曲のためのプロモーションであった、という内容で
Twitter上では大きな話題になっていた。
結果見事に炎上し「炎上商法」として、「さすが!」「マーケティングとしてすごい」と褒める人もいれば、「酷い」「品のない行動だ」と怒りの声も多く見られた。

こうした炎上商法についてマーケッターとして思うことを書いていきたい。

そもそもマーケティングってなんなのだろう

マーケティングと検索するとGoogleでは以下のように出てくる。

商品が大量かつ効率的に売れるように、市場調査・製造・輸送・保管・販売・宣伝などの全過程にわたって行う企業活動の総称。市場活動。販売戦略。

市場において、多くの商品を販売するための戦略をマーケティングと呼ぶのである。基本は効率的に売り上げを上げること。それがマーケティングである。

売り上げを上げるというためには認知度を上げること、利用者数を増やすこと、注目を集めることなど、様々な施策が必要となる。
注目を集めることだけをマーケティングとは呼ばないが、昨今は市場を見る、分析することをマーケティングと呼んでいるような風潮もある。
今回はこの「効率的に売り上げを上げること」という点を頭において読んでほしい。

なぜ「炎上商法」を選ぶのか?

正直炎上させるというのはパターンがあって
①意図的でなくとも炎上する自然発生型炎上
②意図的にバズるであろうと狙う自己発火型炎上

この2種類で炎上の仕方も大きく異なってくる。

例えば今回挙げたTwitterの炎上問題は「自己発火型炎上」である。
炎上することの味をしめ「これなら炎上するだろう」というプランニングがされた上での過激な演出は①よりも広く炎上するように感じる

そもそも多くの場合炎上するときの理由として
差別的な発言、犯罪・迷惑行為自慢、自作自演、倫理観に欠けた言動などがあるが、どの炎上にせよ仕組まれたものに共通して言えるのは
「自分が良ければ、誰かを傷つけたり迷惑行為であっても、求めるものは手に入るので、それでいい。ウケればよい」という他を排除した思考なのではないかと考える。

炎上することにより、多くの注目を集めバッシングもされるが、その行為を面白いと受け入れた「同じ文化圏クラスタ」にも出会いやすいのが炎上だ。
実際問題、炎上することによって多くの信頼を失うが、他に行き場のない濃厚な過激なものが好きな文化圏クラスタは喜んでついていく。
「こんなに炎上しててすごい」「ヤバい」「また面白いことやってくれるはずw」そうしたことを繰り返しながら、濃厚なクラスタを手に入れていくのだ。

炎上商法の魅力はここである。
多くの人のブランド価値は下がるが、一部にとってブランド価値が爆上がりする。
そういう世界が実在するのがインターネットでありSNSなのだろう。

だからこそ炎上はクセになるのだ。

「過激なものがウケる」文化圏

私は今回のように「過激なものがウケる」文化圏は昔からあり
時代によって形が変わってきたと思う。

あるときはヤンキーと呼ばれたり、不良と呼ばれたりもして
「派手な行動をとることで注目を集める集団行動」はどんな時代も続いてきた一つの文化圏だと感じる。

仲間同士の結びつきが強く、派手な行動をとることでマウントを奪っていく、そういった文化圏は派手なバイクに乗ることはなくなり、今はインターネットの世界で地元のクラスタだけでなく、より多くの仲間をインターネットの上で得ているのだ。

前述したような「迷惑行為を拡散すること」「誰かを傷つけてでも自分にとって利益的なことをすること」を派手なこと、面白いこととする文化圏は確実に存在する。

それが一歩外に出たことにより、他の文化圏の目に触れることになり炎上、論争を巻き起こすのだ。
普段住む場所は暮らす環境によって、関わることのない文化圏同士が以前は地元の中から出ることはなかったのが、インターネットにより混在してしまったことがインターネットにおける多くの炎上の原因になっていると思う。
社会性が違えばお互いに理解できないのは当然だが、それがネットになった途端社会性の違いのない世界となるのだから当然といえば当然なのかもしれない。

そこで怒りの声を挙げたとしても多くの場合はのれんに腕押しだ。
そもそも仕込んでいる炎上であれば、怒れば怒るほど相手の思う壺になってしまう。
そうした文化圏を知っておくこと、また人も文化圏もお互いが分かり合えないことがあるということも知っておく必要がインターネットの中ではあるのではないか。

マーケティングの本質を思う

私はマーケティングという仕事がとても好きで
いろんな人の深層心理をきき、物事を組み立てていく。そんな仕事を愛している。
いかなる時も人を傷つけたり、騙したりすることでブランド価値を作るという行為を私はマーケティングとは認めていない。

炎上マーケティングという専門家もいるが、私は炎上はマーケティングではないと思う。ただの自己満足だし利己的なエゴだ。
売り上げを上げたり認知を上げるためなら、何をしても構わないなんてことは絶対にないし、それが許されるべきでもないと思う。

人を騙すことはマーケティングではない。
人を傷つけることはマーケティングではない。
人を馬鹿にすることはマーケティングではない。

人はそれぞれ正義や価値観を持って生きている。
その中で「何を大切にして生きるのか」が今まさに問われているのではないかと思う。それは消費者も同様に。

心を本当に動かせるのは何なのか。
マーケッターとして、自分の目で世の中をしっかりと見定めていきたい。



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