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「写真ばっかり撮って楽しさを知らない」見ず知らずの他人を傷つける『ご意見申しちゃうおじさん』に私が伝えたいこと

こんにちは、あやにーです。
私は毎年郡上おどりという岐阜で行われるお祭りに足を運んでいるのですが、ものすごい熱量のお祭りでまさにこんな状態!



ちょうど私が参加したのが最終日の踊り納めでした。
みんなが踊る姿が本当に絶景なので、毎年写真に収めているのですが、私が動画を撮っている姿を見て

知らない男性が「なんでもかんでも写真に撮って、何が楽しいんかね?レストランで写真撮ってるやつ見ると、食う気ないなら帰れよっていつも思うんだよなーインスタグラム?とかネットに載せることより目の前を楽しめないやつばっかだな」と。
それも、私に向かって聞こえるように、わざわざ背後に立って。

とても悲しかったし、悔しい。だってこの人私の名前も知らなければ、言い逃げな訳ですよ。

私、これ実は他にも経験があります。それも大体50代以上のおじさま方率が高い。
今日はこの行動について私が伝えたいことを書いていきたいと思います。

私が写真を撮りたい理由と情報シェアがもたらす幸福感

私は多分ブロガーとして仕事を請け負っていることもあり、いろんな場面でできるだけ多く写真を納めるようにしています。
珍しいもの、面白いもの、綺麗なもの、可愛いもの。そして私はそれをインターネットのツールを使って、シェアをしています。

「こんな場所見つけたよ」それは自慢がしたいというよりも、大切なフォロワーさんにちょっとでも良い情報を教えたい
みんなの生活や行動にプラスになったら嬉しいなという気持ちで、いつも伝えています。

これは私だけでなく、多くの人が「誰かに伝えたいもの」を写真に収めていると思うんです。
『こんな美味しいお店に行ったから、今度一緒に行きたいね』
『初めて参加したイベントだけど面白かった!忘れないように写真に残しておきたい!』など写真を通して、私たちは伝えたいこと、大切にしたいことを写真に残しているんですよね。

「若い子はなんでもかんでも写真に撮っている」というのは結構思い込みです。

世界には素敵なものがたくさんあって、100年生きるとしても集めきれないから、私たちはシェアし合うことでお互いに幸福度を高めてる。
そういう経験があるから私はSNSで呟きたいし、みんなからも教えて欲しいと思えるわけで、写真を撮ると言う行為はそれだけで終わらないんですよね。
これって経験しないと理解で出来ない新しい価値観なのだと私は思っています。

情報をシェアして喜んでもらえるって、私はとても好きなんですよね。
身近に感じてもらえるのも嬉しい。この気持ちはただその場の写真を撮影していると言う場面からはなかなか理解してもらえないとも思いつつ。

ただの「嫌味」であり何も変わらないリアルクソリプをする「ご意見申し上げちゃうおじさん」

こうしたご自身の意見を見ず知らずの人にぶつける人は、ツイッターで言えば「クソリプ乙」と言われてしまうものに近いと思っています。

今回の場合は迷惑にならない場所で撮影をしていて、撮影禁止でもありません。そして私は見ず知らずの他人です。
そうした見ず知らずの他人を傷つける「ご意見申し上げちゃうおじさん」は、自分の正義の中で意見しているのだと思っています。
たとえ私がその日ずっと悲しい気持ちになることがあっても、彼は何も傷つかないし、一生「言ってやったぜ」と思っているはず。

ダサい、それはマジでダサすぎる。
むしろツイッターのクソリプの方が「FF外から失礼します」と一応挨拶してくるし直接言ってくるのでましなのかもしれません。

さらに今回は、「昔は良かった、スマホもなくて人同士の交流があった。人がなってない」って続いたけど
うわーーー昔は良かったおじさま来たーーーー!!と逃げることを決め、即ささと私は退散したのですが

これも、本当にいつの時代の人なの?と毎回突っ込みそうになるのをこらえていて。
スマホが出来てからの方が人との交流は絶対増えていて、それがリアルと繋がった時がまた面白いんだよ...

こうしたおじさんたちは、①過去以外に栄光がない(過去を輝かせるために今を叩く) ②意見を言える自分は誇らしい と思っていると言うようなパターンがとても多いと感じています。

ディスカッションが生まれない批判は自分の消耗もするし、私も気をつけよう。せっかくの価値観や考えが、ただの嫌みにしかならないなんて、非効率的で生産性なさすぎるもの。

意見があるならハッキリと。相手を悲しませるのではなくお互いにとってプラスになる人でありたいと、私自身の学びにいつも落とし込んでいます。

とにかく、あなたが言ってやった!と思っている意見は、全く心に響いていません。もしかしたら何か深く思うことがあったのかもしれませんが、残念ながら「嫌味なことをいうおじさん」以外の何者でもないんです。

意見と嫌味の境目がなくなった瞬間、私は「ご意見申し上げちゃうおじさん」になるのだと思います。

もし注意をしたいのであれば、直接言ってもらった方がずっとマシです。
ただただ嫌味を続けてしまう残念な大人にはならないように。

もし、そうした人に何か言われた時は

私はこうした場面に出会うたびに「ああ、ご意見申し上げちゃう人来た。」と流すようにしています。
と言うのも、言い返す必要は絶対にないから。

でも言われちゃうと、言い返したくなるよね。私は血気盛んな大人なので言いたくなるのですが。
私は自分のしていることが悪いことだと思っていないので、やめないし、自分の人生にとって必要でない意見に傷つくことはないと思います。

自分がそう言う「嫌な人間にならない」と言う意思と、自分を信じることが、こうしたご意見申しちゃう人に負けないポイントだと思います。
本当、ほっといてほしいよねーーーーーー

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