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#あたしおかあさんだから でドキッとしたことと自己犠牲について

Twitterを中心にhuluで流れた「あたしおかあさんだから」という曲の歌詞が話題になった。

Twitterでは批判の声が殺到していて、実際にいろんな意見を読ませていただいた。
子育ての大変さを語る人、こんなことない!と怒る人、母親の呪いみたい。とあきれる人。さまざまな人がこの歌詞について討論をしていた。

今回のこの批判のうずを眺めながら私が感じたことは少しだけ違う。今日はその件について書いておきたいと思います。


怒るというパワーがあるってすごい

今回のように「子育て」や「親のあり方」というのは基本的に炎上しやすい。それはやはりいろんな意味で「我慢」している部分があるのではないかと思っている。
(私は子育てをしているわけではないので、軽口をたたくなといわれそうなのでここでは私の話は横においておいてほしい。)

毎日の育児の中で努力や工夫を積み重ね、悩んで子育てしているからこそ「ママたちってこうでしょ」「こんなに辛いんでしょ」と言われるのを嫌うのだ。
毎日24時間365日守って、育てていかねばという環境にいるわけで、それを枠にはめて「ママはかわいそうな人たち」なんて言われたら
誰だって怒って当たり前。

だからこそ「そうじゃない!!」と言う部分に対して、みんな怒りが向いていく。

そして怒るというのにはパワーがいる。
泣くよりも、笑うよりも、私は怒るというのにパワーが必要な感情なのではないかと思っている。
今回のような炎上案件を見るたびに、もちろん怒っていることに対してはそれぞれの感情が渦巻いていると感じつつも
「まだまだ日本のママたちは元気な人がいっぱいいるんだな」と思わざる得ない。

怒れるパワーがちゃんとある。それって、実はとてもすごい事だと思うから。

この歌詞を聴いて怒れない人がいるという事実

私は仕事の上で、数年多くの子育てをしているママたちとかかわってきた。育児の現場で働いていたこともあれば、座談会やイベントで多くの本音を聞いてきている。

私はその中で、子育てをする中で疲弊し、産後うつや育児うつ、育児ノイローゼの体験談や相談にも触れる機会があって。

私は、今回歌詞をみて、そうした心が疲弊した状態のママたちの顔がふと浮かんだ。

そうしたママたちの共通点のひとつに「孤独」があった。SNSもほとんど使っていない、同い年くらいのお子さんのママと接触する機会もない。

「ずっとスマホで育児の悩みを検索して答えが見つからず毎日泣いていた。」
「自分は母親失格だと毎日子どもに謝っていた」
「人と関わるのが苦手で、どんどん外に出られなくなってしまった」
「SNSなどやる元気さえ出なかった」など、いろんな辛かった経験を聞いた。

産婦人科の先生いわく、出産を経て体力が低下すると精神力も弱くなる。そのまま育児疲れになっていき、こうした「うつ状態」を引き起こすことは珍しくない。と。

以前もnoteに書いたように「休むことは悪いこと」「みんな出来ているんだから、頼ってはいけない」という
そうした我慢と忍耐が、心の健康を壊していき。どんどん自分を責めていくことになると。

あの、辛い思いをしていたママたちはこの歌詞を見て怒れているのだろうか。
声を上げる先やあげるパワーも沸いてこないママがこの歌詞を見たら、どんな思いをするんだろう。

私が関わっているのは、たった氷山の一角にもならない。小さな小さなひとかけらかもしれない。
でも、そうした孤独な育児に日々我慢している層がいるという事実を私は知っている。

だからこそ、私はこの歌詞を聞いたときに「より人を悲しみのふちに追い込むような歌詞は良くない」と心がぎゅっとした。

この歌詞を聴いて、怒れない。ぎゅっとくちびるをかみ締めているママが日本にはいる。

きっと色んな想いで歌詞を書いたのだと思うけど、やっぱり子どもが聞く可能性があり、センシティブな問題であるということを
大切に扱ってほしいなと、毎回こうした育児を取り扱う問題では感じざる得ない。

自己犠牲を美化するのは全面禁止でいいと思う

今回の話だけに限ったことではなく「自己犠牲」に対して美化するものは、毎度のことながら炎上するというのを学ぶべきだ。
(炎上するのが目的ならいいのかもしれないけど)

年齢や環境に関係なく、自己犠牲ってお金と似てると思っている。
払えば払っただけ「これだけお金を出したのだから間違いではない」と後悔しないよう自己防衛で心理が動く。
「これだけ私は犠牲になったんだから間違いではない」と。

また、自己犠牲は払えば払うほど「自己犠牲なんて払っていない」と思い込み勝ちだ。
この商品は高かったけど、使えてる!無駄じゃない!というものと似てる。

自己犠牲を正論化するのは自分自身。だからこそ自己犠牲を重ねて消耗すべきではない。

自己犠牲を払って、相手が喜んでいても素直に喜ぶことは出来るのだろうか。
むしろ本当に自己犠牲を払わないと相手は喜ばなかったのか。
犠牲を払ってまですべきことって、人生に実はそんなに多くないんじゃないかと思う。

自己犠牲を払うことは、とても簡単だ。諦める、譲る、我慢する。
でもこれは払えば払うほど、自分の大切な心にある自尊心が失われていく。
自己犠牲を払って当たり前なんて、世の中にはひとつもない。

こうした子育てをする人だけでなく、すべての人に言えること。
自己犠牲は美しくなんかない。あなたが辛いだけなんだから、やめていい。
自分を大切にして、相手を大切にするのに犠牲はいらない。
犠牲よりも自分を大切にして、誰も怒らない。不幸にもならない。

今回の歌詞を通じて一人ひとりが「自己犠牲」を美と思わないような、そんな社会になっていったらいいなと思う。

あなたは犠牲にならなくていいんですよ。

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