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同調圧力と集団心理と渋谷ハロウィーン

Twitterでは朝から「いかに渋谷ハロウィーンが荒れていたのか」が盛り上がっていた。明らかな迷惑行為で今年は逮捕者も出たと言うニュースも流れていて、昨日夕方まで渋谷にいた私は、早く帰ってよかったなと
心から思いながら、ニュースをぼんやり眺めていた。

中でも盛り上がっていたのが「軽トラをみんなで転倒させる動画」で、正直なところ見ながら、恐怖に近い感情を覚えた。
Twitterでも散々バッシングがなされる中「バッシングをする人」についても色々考えさせられたので、noteに書いておきたいと思います。

「なぜ、そんなことになるのか?」を考える

一番に考えたのは「どうしてハロウィーンの渋谷はそんなことになるのか」だと思う。いい歳した大人なのに、と言う言葉をよく目にしたが
それは多分違っていると私は思う。

大人か、子どもか、と言うところではなくこれは一つの「集団心理」なのではないかと。

同じ場所に集まり、同じような熱量を持っているど「集団心理」が働き、一人では絶対にしないことをするようになる。
人は集団になることで「みんな」という連帯を持ち、だれか一人がやったことでも「みんなでやれば怖くない」心理に変わって行く。
一人ではできない、いつもはヒーローになれない人が行動を通して「ヒーロー」になり、その周りに集まる人は煽る大衆になるのではないか。

また集団心理の恐ろしさは思考が停止してしまうことにある。
大人数で集まっている、行動しているところでは冷静な判断力よりも「みんなが盛り上がっていることは面白いことである」と、間違っているかどうかの判断を棄ててしまうのだと思う。

今回は完全にその一例で、集団心理により、みんな思考を停止してしまっていると感じたし集団心理の中に同調圧力もあり、その場をしらけさせてはいけないと言う心理も働いていたのではないか。
「正しいかどうか」よりも盛り上がっているかどうか?
目の前の盛り上がりを壊してはいけない。そうした圧力を感じると、人は「傍観者」となるのだ。

正直なところ、この「傍観者心理」は私は日本では一つの社会問題でもあると感じていて、写真を撮っている人、動画を回す人、拡散する人、周りで眺める人、足早に通り過ぎる人。
みんなこの「傍観者心理」なのだと思う。

自分は手を下したくはないが、バズりそうだから撮影しておこう。
巻き込まれたら嫌だから放置して通り過ぎておこう。
明らかに危険行為であると分かっていても、私自身も止めることはできないと思う。集団心理で熱が上がっているところでは、止めたとしても逆に暴力を受けることもある。

何人が警察に通報したのだろうか?
何人が冷ややかにその場を去ったのだろうか?
SNSの中では測れないが、実際「見ないことにした人」がきっと殆どだったのではないか?関係ない、関わりたくない。そうした人が大多数だったのではないか?と想像している。

SNSで批判している人は一人でも立ち向かえるのか?
ただSNSの届かないところから石を投げているだけで本当に目の前で起こったとき、自分は行動できるのか?

外側から石を投げて「物事を正論とする」のではなく、私はもう1歩考えたいと思う。

自分はどうあるべきか?を問題行動から考える


先述したが、私自身目の前でそうしたことが行われていたら「スルー」しているような気がする。警察はだれかが呼ぶだろうし、と。
恥ずかしいけど、無責任な行動以外ができる気がしない。

巻き込まれてけがをするのも嫌だし、きっと写真だって撮られる。
正論はどれだけでも言えるけど、その現場で行動は絶対にできないと思う。

こうした問題行動に対して、自分ごとで考えたときに「自分ならどう行動するか」をしっかり覚えておく、決めておくのはとても大切だ。

勇気を持って止められるのか?
戸惑いなく警察や周りに協力を仰げるのか?
「うわ、あの人もキモい」と言われることを受け止められるのか?

目の前で起こっている暴力的、反社会的とも思われる事態に対し
臆することなく思考停止せず考え、同調圧力と傍観心理に負けることなく、暴力に巻き込まれる不安を乗り越えて行動できるのか?考えておきたい。

「渋谷でハロウィンを開催するのを中止しろ」と言う声も上がっていたけど、これは中止をしたら解決する問題ではないと私は思う。
集団心理で自分も傍観者になってしまうことや、ハメが外れてしまう可能性は自分にもあること。
どうしたら安全なイベントになるのか?もし自分ならどうするのか?

ハロウィーンは一つのイベントとして大きな経済効果もあり、私は楽しいことがすごく好きなので、こうした出来事になって正直とても悲しい。
純粋に楽しんでいる人たちがほとんどで「ハロウィーン、来年はどうしようね」ってワクワクしながら準備をしていた人も多いはず。
そうした人まで「ハロウィーン楽しんでいる人は痛い人しかいない」と言う空気になって行くのは、本当に悲しいの一言でしかない。

そうした「次」を考える行動を考え、行動に移して行くことが
社会の中で起こった問題を解決するのに私は大切なことなのではないかと思っている。
終わった後に、正しいことなんて誰でも言える。
とにかく「自分はそんなことしない」と言う外側心理から自分ごとにどんどん変えて行くことが大事だと思うから。

私はあの現場にいたら、どうしていただろう。
皆さんはどうですか?

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