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「いつもありがとう」を社会問題に。

みなさんこんにちは、あやにーです。
毎日のように、セクハラ問題や痴漢、女性が受ける性的な問題について報道がされています。
私の周りの友人たちは紳士でとてもすばらしい人ばかりなので、こうした問題になるのは、ほんの一部であるとわかりつつも
被害者を責めるような言動がまだまだあふれていることに対して許すべきではないと思うのも事実です。

私の知人の男性は、何度も電車内で女性にわいせつな行為をされて被害届を出そうと相談したところ「そんな人はいないよ」「女の人に触られて嫌なの?」と言われ、大きく傷ついていました。

それ以外にもいろいろな社会問題に日々触れていく中で
私は自分自身が起こすべきアクションや伝え方を最近見直すようになりました。今日はそんな話をお送りします。

ネガティブな言葉が人には響く

SNSをはじめ、「人の不幸は蜜の味」ということわざがあるほど、人はネガティブであるものに強く惹かれます。
理由はさまざまですが、心の中にある怒りや悲しみは共感を生みやすく、嬉しいことや楽しいことに比べて「自分ごとにしやすい」と私は感じています。

たとえば「今日は電車内でこんなひどい客がいた」という隠し撮り動画はバズが起きますが、圧倒的に「今日は電車内で素晴らしい客がいた」というものは話題に上りにくいと思いませんか?

むしろこうしたポジティブな話題は「うそなのではないか」「作り話ではないか」と多くの人から批判を集めることもあります。

ネガティブな発信は、同じような感情を持つものが「私もそう思う」と団結します。共通の敵を持つことで、人は団結力があがるという、心理学者の分析もあるほどです。

また、否定することで自らの正しさが確認したい、自己愛を高めたいという人も少なくありません。
ネガティブな発信は「この行為が許せないのは自分だけではないと確信したい」「一緒に潰そうよ」という流れに代わっていきます。

実際さまざまなストレスを抱えていると、さらにそこがストレスの発散場所になっていくので、さらに大きなムーブメントになりやすい。
ポジティブな考え方では大きなストレスが発散されません。
そこに怒りも悲しみもないから、感情の爆発ができないのです。

共感者が多ければ多いほど、チームの団結力が増し、拡散力を持っていきます。だからこそネガティブな意見はバズがおきやすくなります。

また悲しいことに、人はネガティブな行動のほうが目につきやすく、話題にしやすいんですよね。
自分の行動や信念に反した言動には批判的になりやすいのが人間だと私は感じています。


ポジティブに響くにはどうすればいいのか?

とはいえ、「問題定義」で本当に人の行動はかわるのでしょうか?
私はずっとこのモヤモヤを抱えていた。

否定すれば、拒否すれば、本当に変わっていくのだろうか?
もっとみんなが心から「そっか」と思えて、気持ちよく前向きに変わっていくような、どんな方法はないんだろうか、と。

以前以下のような実験を名古屋大学が行ったというのを聞いたことがある。
自転車置き場において「どの言葉が一番人間の心理に影響を及ぼすのか」という行動学の実験で

①標語型:ルールを守りましょう
②禁止型:ここに駐輪してはいけません
③懲罰型:ここに駐輪すると罰せられます
④他人に迷惑型:ここに駐輪するとほかの方に迷惑がかかります
⑤感謝型:いつも駐輪ルールを守っていただきありがとうございます
(正しい文言の記憶があいまいですみません...)
この5つの言葉の提示において、一番迷惑駐輪が減ったのは⑤の感謝型だったそう。

よく公共のトイレでもこうした「きれいに使ってくださって有難うございます」という一言を見かけますが、これは⑤の感謝型である。
特に日本人は他人から「どう思われているか」を意識する国民性もあり、こうした「感謝される」という評価は心に響くのかもしれないなあ、とこの話を聞いたときに思った。


では、これは社会問題においては実際にどうなんだろうか。
たとえば、女性専用車両に「紳士な皆様からのご考慮、ご理解有難うございます」と書いてあったら、ルールを守った人が「紳士である」という評価に満足してくれるのかもしれない。


不倫を許せないという人は「不倫は最低行為である」と声を上げるのではなく「一途に大切な人を愛せる人がかっこいい」とうたってもいいのかもしれない。

社会問題の解決に対して、私たちはもう、ひとひねり「ユーモア」をプラスしていくことだって無駄ではないはずだ。

もっともっと心を揺さぶらなくてはいけない。
苦しい、悲しい、どろどろしたものではなくて
心からアクションを起こして良かった!もっと良くしていこうと思えるような心の揺さぶり方が今とても大事なんじゃないだろうか。

人は共感で動く。であれば、ポジティブなものでも共感できさえすれば心は動くのだ。

もっともっと考えなくちゃいけない。
ただ目の前にあるものを否定し、批判しているだけでは
足りなくなっているのだから。

バズらないけど支えている良い人を大切にしたい


私たちは毎日毎日毎日毎日
これでもか!というほどネガティブな意見を受け止めている。

どんどん人を許すことができなくなっていると思うし
SNSの力を持って人の人生を奪うことだってできる世の中だ。

日本は生きにくい、というけどネガティブな意見ばかり毎日見ていたら、生きやすさになんて誰も気がつかないだろう。
ポジティブな気持ちは共感されにくい。日本はいい国だよ、と言ったところで
それをどれだけの人が素直に受け入れることができるんだろうか。


いつだってネガティブな出来事の影には、当たり前のように良識を持ってポジティブな行動、マインドを持った人が隠れているように感じる。
もっともっと、そうした支えているバズらない良い人、良いアクションを起こしている人たちにスポットが当たることはあまりない。

ベビーカー運びを助けてくれるサラリーマン
セクハラをする上司をコンプライアンス部に通報してくれる同僚をはじめ
困っている人を助けたり、支えている人も日本にはたくさんいる。

その人たちにもっともっとスポットを当てて、感謝をし、大切にしていくことで「自分もそうした人間になることで認められたい」というような
人が持つ承認欲求と自己愛を満たしていくことができないのだろうか。

人間の行動学で「感謝型」が響くという結果がある以上、私はひとつそんなポジティブアクションにかけてみてもいいんじゃないかと思っている。

それでもネガティブな気持ちが人を動かしたとしても
ポジティブアクションが無駄ではないと、ちゃんと心が動くのだと信じているので。

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