人生楽しんだもん勝ち

こんばんは。
今日もお立ち寄りいただきありがとうございます。

人生楽しんだもん勝ち

これ、私の座右の銘の一つなんですけど
時々忘れてしまっている時に
ふと、声をかけてもらえると思いだして
つまらないことにとらわれるのを辞めることができる
魔法の言葉なんですよね

ちょっとイライラしたときとか
人間関係とか
煮詰まっちゃったときとか
とりあえず
そっか、人生楽しんだもん勝ちだった
こんなつまらないことに時間を費やすなんて
もったいない
って、ぽーーんと違う世界に飛べるんです。

幸せになることしか起きない
という視点に立っていると
イライラの元に幸せの種が埋まってることに気付けるし
どう楽しむかを考えることができるし
本当に魔法の言葉。

子どもの頃は
小、中、高と 結構ずーっといじめられていたのですが
そういう時間が
今となってはありがたかったなあと思えます

私の暗い部分は家族のことだけじゃなくて
そういういじめの経験からくるものも大きいと思うのですが
あの時代、生み出す言葉は本当に暗かったし
でもそれがその時代の私を形作っていたし
そういう自分に酔ってもいたと思う。

でも逃げずに生きてこられたのは
いじめられても救いがあったから。
密かに話しかけてくれる子も居たし
何故か「いじめられる私」に興味を持ってくれる子が居たり

それから、命が連綿と繋がっていることに気付いたのも
中学生の頃。

私が生まれるまでに
どれだけの命が必要で
その一つでも欠けていたら、
その逆ピラミッドの一人でも居なかったら
私が生まれてこなかったということに気付いて
自分で命を捨ててはいけないと悟った

生まれたからには
生きなくちゃいけない
生きるからには楽しく生きなくちゃつまらない

どう生きたって
人生は一回だし
私の人生だし
せっかくいただいた命だし
楽しもう!って思った

車道に飛び出していた暗黒の時代が終わった

私なんていなくなっても誰も悲しまない
必要ない
いらない

そう思ってたけど
そうじゃないと知った

私がどうであれ
私が生まれるまでにどれだけの人が必要だったか
命のバトンの末にいる私は
何かしら いる意味があって
だから生まれてきたんだ

という視点で物を考えるようになった

それでも、
車道には飛び出さなくなったけど
別に状況が変わったわけではなかったし
いじめがなくなったわけではなかったし
お友だちと過ごしていても孤独な気持ちは変わらなかったけど

そこ(学校)が全てではないことに気付いていたのは
大きかったと思う

いや、でもそもそも
私は本当にいじめられていたのか
そう。孤独だったけど。本当は一人ではなかったのかもしれない。

死なないで と言われたかっただけかもしれない。

母に 不良になってもいいかと聞いたのは
中学生の頃だった

不良になってもいいか、と親に聞いて不良になる子は
なかなかいないだろう

今思えば自分でも笑ってしまう。


人生 楽しんだもん勝ち
から派生して
話があらぬ方向へ進んでしまったけれど
とにかく
イライラに支配される時間はもったいない
せっかく生きているのだから
楽しい時間をたくさん紡いでいきたいと思う。


そんなわけで
今日も凄まじいほどの散文にお付き合いいただき
ありがとうございました。

明日も素敵な一日をお過ごしください。

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