ミモちゃんと出会う

【1982(昭和57)年春 19歳 】 



 その後、初体験だらけの大学生活1年目という日常はそれからも早足で流れた。秋の大学祭、冬のスキーツアーと過ぎ、やがて春を迎え私は2回生になっていた。因みに、失恋はまた1つ加算されもう4回…。いくらポジティブ思考の私でもさすがに凹んでいた頃…ちょっとブルーな2年目の学生生活のスタートをきった頃だった。

 4月にしては比較的暖かい晴れた日、土曜の午後。その運命の日はやってきた。テニスサークルの練習日のことだった。
 練習が始まり普段は軽い準備体操というところなのだが、その日は新加入の生徒が3人いて、まずはその紹介が行われた。3人は皆イスパニア(スペイン)語学科の2回生の女の子。その中の1人がミモちゃんだった。
 ミモちゃんの第一印象は少し地味だけど愛嬌があり、ちょっと子供っぽい感じといったところだ。ただ、同じイスパニア語学科の男に誘われてサークルに入ったのか、その男とずっと話し込んでいた。実は私はその男がちょっと苦手だったので、その時私はあまりミモちゃんに好意的な印象はなかった。というのも2人が付き合っているのかなと何故かしら思ったからだ。
 それはさておき、前述したが私はスジこそ悪くないものの、ちょっと経験があるだけのウルトラ中途半端テニスプレイヤーだ。だがそれでも想像を絶する低レベルのサークル内においては『花形的存在』だった。故に練習中はもっぱら他の学生の見本であり教える側の立場でもあった。ちやほやされることはもちろん悪くはない。でも『これでいいのだろうか』と自問自答を毎回のように繰り返していた。それでも私がラケットを振るたび、

「ナイスショット!」(男の声)
「すごーい!」
(女子の声)

と歓声が上がれば、やっぱり気持ちよくなってしまう。まさに『井の中の蛙』。心技体すべてに未熟なことをまったく恥ずかしく思わない『馬鹿な10代の男』はいつしか『自問自答』を次第に忘れていた。
 その馬鹿に拍車がかかった頃にミモちゃんとファーストコンタクトを果たしたのであったわけだが、他のメンバー同様、ミモちゃんも私が近くにいると羨望の眼差しを向けながら、

「私にも教えてくれる…?」

なんて感じで接してきた。もちろん私も気軽に返す。

「うん、いいよ。ん~っとね…そんなに焦らなくていいよ。焦ってボールに近づき過ぎてラケットの真ん中に当たらないみたい。近寄り過ぎてるみたい。」

「う~ん。でも…ボールが来ると…どうしても…。」

 ミモちゃんの素質はというと…お世辞にもいい方ではない…。スポーツ経験も体育以外には無いようだ。こういうタイプは言葉だけではなかなか上手く伝わらない。

「ちょっとこっちに来て。」

 私はミモちゃんをコートの端に連れて行き。簡単な個人レッスンを始めた。先ずボールがラケットに当たる瞬間の距離や姿勢。そのために必要な動作やリズムの取り方など…。私はミモちゃんがリラックスできるような雰囲気を演出するため適度に会話をしながら続けた。

「自宅から通学?」

「うん。」

「どこから?」

「一畑電車の松江温泉駅(現:松江しんじ湖温泉駅)からちょっと歩く。」

「へぇ~、一畑なんだ。便利だけどちょっと微妙な感じ…。」

「やっぱり…。そう思う…?」

「うん。でもよく知ってる訳でもないけどね。なんとなく。」

「玖津木君は?」

「アパート。自宅は米子なんだけどね…えっ名前知ってるの?」

「うん。さっき仲瀬先輩に聞いた。私はね、宮森。」

「そうか…俺、フランス。」

「私、イスパ。」

 そう話しながらもちゃんとテニスのアドバイスもしていたが、もちろん初心者が急に上手く打てる訳ではない。それでも何球かに一回は気持ちの良いショットが生まれた。するとミモちゃんはピョンピョン跳ねながら思いっきり喜んだ。その跳ね方がバランスを崩しながら不器用に見えたので、それがとても可笑しかった。私のその雰囲気に気付いたのか、ミモちゃんはもの凄くはにかんだ。私にはその仕草もとても可愛く見えた。最初に持っていた非好意的な印象はすっかり消えていた。件の男も単なる同級生だと確認できていた。
 それからというもの、ミモちゃんと私の距離は会う度に短くなっていった。そしてミモちゃんと出会ってから約1ヶ月。ミモちゃんと私は初デートの約束をした。


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