すーたろう物語

子どもの頃、なかなか辛い家庭環境で生まれました。
エンターテイメント、主にお笑いが現実逃避であり、心の支えでした。
なので、バラエティ番組の企画を考える放送作家になることが夢になりました。
今考えれば鬱状態とかで才能ないと思い挫折して技術スタッフになりました。
最初は撮影助手でいろいろあって照明助手へ。
リーマンショックの影響で映画の製作本数が少ない時代だったのと、自分には向いてなかったこともあり時々映画やドラマの仕事やって、仕事ない時はアルバイトしてました。
とある先輩から「アルバイトしているくらいならAV現場で機材の使い方とか覚えないか」そう言われてAVの世界へ。
始めて行った現場はイメージと違って清潔感があった事に驚いたのをよく覚えてます(まぁ現場によるんですけど)。
映画の仕事も自分が嫌いな脚本の作品に関わる事もあったから、やりたくない仕事をやることに慣れてしまっていました。
また、映画だといやな先輩と数ヶ月毎日一緒になる事がありますが、AVだと毎日スタッフが変わったりするので耐える事ができました。
さらに、AV業界はお笑い芸人並みに面白い人が少なくなかったし、HSS欲を満たしてくれるところもあり一番長くいました。
しばらくして、AVの照明アシスタントから照明技師になりました。
映画は労働環境最悪だから未練はなくなりました。
ある日、AVのパッケージの写真家に出会い、写真のうまさに衝撃を受けました。
パソコンで後からいろいろ加工して盛っているとばかり思ってたけど、ほとんど加工いらないじゃんというレベルでした。
そんな手品のような撮影技術を研究したく、その師匠に弟子入りするようになりました。
師匠から離れてからはフリーの写真アシスタントを少しやり、動画の照明の仕事と写真の仕事、動画撮影の仕事の3足のわらじで稼いでいました。
照明では
WebCMはサントリー、wella、電通、セイコーウォッチなど
ミュージックビデオではKという韓国のアーティスト(関根麻里さんのパートナー)の方とかアイドルとか
をアシスタントでなく照明技師として担当させていただいた事もあります
写真では映画のポスターに使われる写真や、小道具の遺影写真、ファッション、イベント、プロフィール写真、対談などいろいろやりました。
板尾創路さん、鈴木杏さん、ろくでなし子さん、宝田明さん、岩井志摩子さん、でんでんさん、藤田智子さん、ポンデライオンとかを撮らせていただいたことがあります。
自分はいろいろやりたいんだ!って思ってました。でも、本当にやりたい事を分かっていないだけでした。
プライベートでは友達といろんな事をしました。
・街中でゲリラカラオケ
・食品サンプルを載せたちゃぶ台を駅前広場とかに置いて、道ゆく人にひっくり返してもらって、疑似ちゃぶ台返しをしてもらうイベント
・ごくたまに豚が豚丼を持ってるイラストとか牛がステーキもってるイラストの看板の飲食店見たことがあって、真似して、鳥の仮装して鳥の丸焼きを食べる会
いつのまにかプライベートで放送作家っぽいことをしてました。
2020年にコロナショック。
2022年にお仕事の人間関係、プライベートの人間関係でメンタル壊し、さらに腰痛の悪化で自分の人生を向き合わざるを得なくなりました。
AV新法でお仕事の依頼が減ったのはある意味救いになりました。その頃は仕事するストレスも断るストレスも半端じゃありませんでした。
かなりの仕事をやめました。
「繊細さんが自分のままで生きる本」という本に出会いました。人生を変えてくれた1冊でした。
この本で、HSPとしての生き方を教わり、これからは自分と関わる人を自分が選べる環境で生きていくと決めました。
その頃はかなり白黒思考になっていたと思います。
また、その本に書かれていたのは、いままでの我慢して演じてしまっていた自分に合う人が周りに集まってて、本当の自分を出せるようになると、我慢してる自分を好きだった人が離れていき、本当の自分に合う人が集まるとありました。なので、人間関係の入れ替わりが起こると、、、。で、実際に入れ替わりが本当に始まって、自分には友達がほとんどいなくなりました。
その直後に「世界一やさしいやりたいことの見つけ方」という本に出会いました。この本も人生を変えてくれました。
出た結論は「昔の自分のように繊細で弱くて尊重されないような人でも安心して参加できるいろんなイベントをすること」だという仮説でした。
HSP交流会やお笑い交流会をやっていきたい。
テレビのようなレベルの企画ではなく、個人レベルでの企画をやっていく人生なのかもしれません。
とは言え、自分にとっての「イベント」とはなにかの答えはまだ明確に分かっていません。
コーチングもやりたい事として新しく見つかりました。
コーチングは自分の中では「1対1のイベント」になります。

ある日気づいたことは、「昔の自分のために生きる」これが人生の答えになりました。

イベントでは楽しみあったり、支えになったり。お笑いを追求したかった過去や暗黒時代に助けてくれる仲間が欲しかった過去が関係していると思います。
話の通じない両親(父親は自己正当化しかしない教師、母親は宗教にはまる)の元で生きてきたから、コーチングを通して「話を聞く」というのも人生のテーマの一つになりそうです。
そして、過去の自分をさらに見つめると「子ども食堂みたいなこと」をやりたいと気づきました。
「みたいなこと」の部分が大事で、「子ども食堂」というタイトルだと、自分の家庭が貧困家庭だと思われるのが嫌で子ども食堂に行かせない親がいるらしいから、「子ども食堂」をやっている人にはリスペクトをしつつ、違うことを自分はしたいんだと思います。
今のところの仮説では「子どもゲーム会」とか「子どもお笑い会」みたいな事をして、表向きには子ども食堂にはせずに、食費は無料で提供する居場所にしたい。
ルールとしては、自分はお金を出すような自己犠牲はしないと決めています。お金で応援する人を探す方向で考えてます。
理想を言えば、高校生ぐらいまでの子どもが家出をした時に駆け込める場所を作りたい。
寝れて、食事ができて、たくさん笑えて、話を聞いてあげられる場所です。
最近は、誰かと組織的に働く選択肢もありかもしれないと思い始めています。
子ども食堂みたいのだって一人ではできないですし。
HSP交流会、お笑い交流会、その他の交流会、子ども食堂みたいなやつだけでなく、コーチング、写真動画お仕事、その他、すーたろうと関わっていただけたら幸いです。
よろしくお願いします。

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